三四郎

うたかたの戀の三四郎のレビュー・感想・評価

うたかたの戀(1935年製作の映画)
4.1
この映画の秀逸なところは、フランス映画にもかかわらずキスシーンが一度も出てこないこと。クレジットのメロディでウィーンが舞台の映画であることがわかる。ここ最近観た映画の中ではなかなかいい映画だった。

社交界デビューをする頃のまだ初々しい17歳。プラーター公園で皇太子と見る人形劇。身分違いの恋をしたお姫様を悪魔が襲う。
「幸せな人間をいたぶるのは最高だ」と。それを見て惚けた美人「かわいそう」と一言。「愛の報いを受けたんだ」「そんなのおかしいわ」皇太子は部屋の机にドクロを置いており、その理由を「人生に耐えるためだ」と答え、彼女は「耐える?人生は楽しむものよ」とまっすぐに彼を見つめて言う。 

恋愛も世の中も何もかもまだ知らない17歳が、クライマックスには婚約指輪に「先に死なせて」と願いごとするのだから…恋愛は崇高であると同時に恐ろしい。

「48時間も会えない 自分の父親なのに 私は一人の人間として見て欲しいんだ」
映画を通して伝わるのは、貴族文化の表から見た華やかさとその裏にある頽廃。貴族文化とはこのようなものなのだろう。自分が何故生きているのかわからなくなる。何故なら操り人形と同じだから、あるいはチェスの上の駒だから。自分の考えを自分の言葉で発することも、思い通りに行動することもできないのは辛い。四六時中監視されていれば気もおかしくなるだろう。そうなると市民階級の方が幸せなのかもしれないが…。
しかし、青き血の方々がすることは私には理解できない。オペラ座での上演・開幕、ドイツ国歌のメロディ!これには驚いた。

バレリーナが舞うのにかぶさるプラーター公園での二人のオーバーラップ、この演出は実に美しい。白黒映画の美ここにあり。
そしてもう一つ。
惚けた美人がピアノを弾いており、仲介役女が大きい音で強く弾くように求める。女は令嬢の母親と会話しながら、母親に悟られぬよう、皇太子が彼女に会いたいと言い密会を仰せつかったことを途切れ途切れに話す。この演出はロマンチック。

6週間離れ離れになり、令嬢が伯父の家から抜け出して来た時、皇太子は毎日酒酒酒、女女女で自暴自棄になっていた。惚けた美人にも辛く当たる。そこで沈黙し、ただひたすらに皇太子を見つめていた彼女の口から予想外の言葉が出てくるのを私は聞いた。
「こんなになるほど辛かったのね」
名セリフ…。
17歳の令嬢の言葉ではない。大人の女の言葉だ。このシーンをどう展開するのか、この二人はどうなるのか、令嬢はこの荒れ狂う皇太子になんて言葉をかけるのかと見ていた私にこのセリフは予想外、はたまた予想を遥かに上回る美事な科白だったのだ。
婚約指輪に「愛で結ばれて死す」と刻む皇太子は哀れな人生だった。

黒い服で登場するのはエリーザベト。
令嬢の歳を聞き、「17歳」と知ると物思いに耽るように「十七のとき 私は不幸だったわ」と。「この宮殿は悲しいところよ」いかにもエリーザベトが語りそうな言葉だ。

しかしなぁ、「人生は楽しむものよ」と言ってた純真な娘が最後には「愛する者と死にたい」と思うのだから、哀れで儚い。

気になるのは1時間の密会。お話して帽子を脱ぐだけで1時間…おかしいよ、このシーン構成は。
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