netfilms

成功したオタクのnetfilmsのレビュー・感想・評価

成功したオタク(2021年製作の映画)
3.2
 先んじて言えばオタクには成功も失敗も存在しない。むしろ成功したオタクなら、率直に言って形式的ではなく感覚的にオを重いヲにすべきではないか?オタクではなくヲタク。と言えるディープな階層こそが90年代的なオタクの概念に縛られない自由な概念を持っているヲタクで、たった一文字違いでも20世紀のオタクと21世紀的なヲタクとは棲む世界が違う。階層が違うしヒエラルキーも抑圧も何もかもが違う。しかし推しの為に生活費や全財産を費やして何もかもが苦しい。生きることも苦しい。ファンではなくグルーピーでもなく、ましてやファンダムとも言えない第六感的なヲタク的な何かにひらめきが行くものにとっては今作は何もかもが蛇足で、登場する映像の全てが愛憎入り混じった推しへの悪口で、それ以上でも以下でもない切実な煮え切れなさが画面から伝わるから、率直に言って楽しくない。友人・知人と推しに対して憂さ晴らしをし合うことでファン側が優位に立つ。それをドキュメンタリーとして撮るオ・セヨンの切り口に対して私が正しいとか間違っているとか一方的な意見を述べることは慎みたい。

 このようにどっぷり深くハマってしまう人は、人に思い入れるのは金輪際辞めた方が良いと老婆心ながら伝えたい。なぜならばカメラに映る人は100%素ではなく、何かしらのポジションを演じているから。どんな世界にも聖人君子などいないと断言する我々の現在の世界線では、二次元に思い入れても三次元に思い入れるなというのはデフォルトである。あなたが思い入れた人がただのサイコパスでもただの女ったらしでもジゴロでも、ワイドショーはその事実をグロテスクにしか表現しないから。日本でも韓国でも同様なのは、その他大勢の大衆の欲望は常に聖人君子の裏の姿を暴こうと必死になる。下世話な芸能ニュースは常に成功よりも失敗のニュースに舵を切り、面白おかしく伝えることでエンターテイメントの裏側を暴くこうとするグロテスクな形相。彼らに費やした時間や費やした費用ばかりを声高に攻め立てるが、人を見る目が無かった自分たち自身への言及はほとんどない。ヲタクにとって第一形態はまずは「認知」であり、第二形態は「私信」なのだが、第二形態で拗らせたオ・セヨンのどろっとした心情吐露の映画である。
netfilms

netfilms