くまちゃん

セキュリティ・チェックのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

セキュリティ・チェック(2024年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

ジャウム・コレット=セラの撮るアクション映画と言えばリーアム・ニーソンを思い出す。二人は幾度もタッグを組み、その度に我々観客に質のいいエンターテイメントを提供してくれた。さらに「エスター」や「ロスト・バケーション」を見れば監督のサスペンス的手腕が優れているのは明白だ。そして今回、ドウェイン・ジョンソンを二度味わった後に迎え入れられたのはタロン・エガートン 。清潔感のある顔立ちとパンプアップされた肉体は聡明さと大胆さを兼ね備えている。ストーリーは空港を舞台にしたサスペンス。「フライトゲーム」と類似しているなど気にしてはいけない。「フライトゲーム」は空の上だが今回は陸。ほら、全然違う。

聖夜には奇跡が起こる。だが幸福度の総量が決まっているのだとしたら、その奇跡は誰かの不幸の上に成り立っているのかもしれない。大筋はいたってシンプル。ダイハード以降の巻き込まれ型主人公をなぞるようにイーサンはドツボにはまっていく。ジョン・マクレーンのようなただの警察官にすらなれなかったただの空港職員。いつも通り惰性で仕事に臨んでいれば知らない顔もできた。だが身重の愛するパートナー、ノラを喜ばせるため夢から目を背け、今の仕事にやる気を出したのが全ての始まり。ノラはイーサンに夢を追って欲しかった。空港での昇進など希望していない。男性は時に女性の意向を汲み取ることができず逆に失望させてしまうことがある。イーサンはまさにそれだった。そして事件に巻き込まれ、ノラを人質にとられ、友人に職務時間内の飲酒の濡れ衣を着せ、それを同僚やノラの知るところとなりどんどん孤立していく。始まりが独りだったのに展開が進むにつれてさらに四面楚歌が加速していくのは見ていてつらい。イーサンの武器は洞察力。制服の上から識別できる筋骨隆々な肉体とは反比例し腕っぷしはからっきしだ。犯人は二人。指示を出す者とスコープを覗く者。荷物の運び屋でさえもパートナーを人質にとられた一般人。それがさらにイーサンと運び屋の立場を危うくする。ここは90年代の同様な作品には見られなかった要素であり、だからこそストーリーが複雑性を増している。そして異変に気がついたロス市警も参戦し、聖夜に賑わう空港は混沌を極める。この緊張の末、辿り着く結末は。

「ダイ・ハード」のジョン・マクレーンは堕落した男として描かれ、コレット=
セラの作品内でのリーアム・ニーソンは家族や職や立場を奪われ失意の中にあることが多い。だからこそ頑張る中年の姿に胸を打たれ激励したくなる。しかし今作のイーサンはノラとの仲も良好で懐妊によって気持ち的にも張りがでている。警察を諦めたのも一度の試験で罪を犯した父を庇ってしまったことで不採用になったから。そうたった一度だ。何かの妨害があったわけでもトラウマがあったわけでもない。つまりイーサンは社会人として多くのものを持ちながら一度の挫折を引き摺り不貞腐れているようにしか見えない。そしてこれまでやる気を出さずに昇進も出来なかった男が、一年で一番忙しい時に限っていきなり重要なポジションを任せろと上司に直談判する身勝手さ。友人の進言によりこの要望は通ったが上司が眉をひそめるのも当然だろう。そして事件に巻き込まれた。イーサンは被害者で不運だがどこか自業自得というのも否定できない。また終盤でイーサンはノラとハグし熱いキスを交わすが、そのハリウッド的儀式は解放された人質の前で行われる。この人質のパートナーは事件の渦中で絶命している。これは不可抗力だ。致し方ない部分は強い。が、残された者の前で自身のパートナーと愛を確認する行為はデリカシーの欠片もない。そして彼らにはそんなことをしている暇はない。さらに制作側にもそこへの配慮が感じられない。映画の中に組み込まれた多様性はその世界に自然と溶け込んでいる。それは本来、社会のあるべき姿。だが事件に直接的関与し、片方が死亡し、保護されたもう片方には何のフォローもない。それなのにイーサンはノラと家庭を築き、子供を胸に抱き、警察官の夢を叶え、明るい現実と希望に満ちた未来を讃えながらタヒチへと旅立っていく。そんな彼らを見送るのはかつての同僚、親愛なる友人たちだ。一見ハッピーエンドに思われるが、同性カップルが失った全てをイーサンは手に入れている。この結末は多様性を物事を演出するただの道具として、イーサンたち家族を引き立てるための絶望に感じてならない。娯楽性の高いサスペンスはジャウム・コレット=セラの十八番、だからこそその点は非常に残念である。
くまちゃん

くまちゃん