故ラチェットスタンク

ルックバックの故ラチェットスタンクのレビュー・感想・評価

ルックバック(2024年製作の映画)
3.8
『Chain-Saw』

 扉越しに「有り得て良い」奇跡が通過する瞬間の煌めき。後悔と祈りが可能世界との偶然の交感を起こす。断たれた繋がりの回復のため、再び虚構へと向かう。--だってきっと、それを回復するのは、虚構的なアプローチングでしか有り得ないのだから。--

 マセた藤野と等身大の京本の相対化されることのない閉じた関係性は『トップをねらえ2!』におけるラルクとノノの関係性とも通ずるだろう。がむしゃらに進もうとする藤野と地道に進んでいく京本の対比を「パースが入れられるか」(=世界•社会認識の正しさ)で見せ切る旨味。

 藤本タツキワールドへのアプローチングの変化が目覚ましい。人物のパキッとしたビビットな色付けは勿論だが、その最たるものは背景美術とその色彩調整において、デッサンとデフォルメが併用されていることだろう。(既に多くのアニメがやり始めていることではあるだろうが。)

 冒頭の空撮で映る街全体の外観なんかは歪んだ輪郭であるが、電車はピシッと整えたデザインで描かれたりする。他方、田んぼの道を走り抜けていく場面では奥に見える街の風景は写実的なグラデーションがありつつ、画面の手前に見える草はビビットに色付けされたりする。ルックに抑揚が効いていて豊かだ。

 情景描写もこれまた向上。例えば終盤、京本宅でうなだれる藤野を覆う黒と影。アニメ版『チェンソーマン』の蝙蝠の悪魔の描写などと比較して使い方が非常にリッチだ。喪服の黒と藤野の瞳の黒、廊下の黒がキチっと連動する。

 ただ、京本の絵を見た藤野の唖然とした顔や終盤のフラッシュバックの止め画繋ぎなど「静止した音のない世界」としての側面が強く発揮される場面の翻案には少々手を焼いている印象が否めない。

 そして、少々情感が先行し過ぎて俯瞰的なコマづくりから醸し出される間抜けさが喪失された印象もぬぐえない。アニメという、動きも音も多彩な色も付き纏ってしまうプラットフォームでは仕方のないことなのでどうとも出来ないが、何か上手い打開策はないかな、と首を捻った。

 4コマ漫画が動くいくつかのシーケンスがあるが、そこも無理に派手にする必要はなかった気はする。モノクロの画面でそのまま動かしていた京本への4コマの方が断然面白かった。

 また、バスト、アップの画面で話している人物が写実的な動きを披露しすぎると少々違和感はある。(特にショット、リバースショットで繋がれるところ。)もしかすると「新鮮味」と言い換えてしまって良いのかもしれないが。それよりはトコトコと藤野との距離を詰める京本の小動物っぽさや雨の中を走っていく藤野のアンバランスな輪郭の方が見ていて楽しいかもしれない。

 あるいは京本宅から逃げ出すときのアングル。廊下→玄関(内)→玄関(外)を下→上→横と3つの目線で繋ぎ、ショット毎に藤野の慌ただしい動きを適切に収めていく周到さ。コンビニで立ち読みする場面での店内にいる二人の顔のアップショットから店外のロングショットへの繋ぎの粋さ。

 音の使い方も一長一短。母からの連絡を受ける場面でのひんやりとした沈黙や上記したコンビニの場面での店内と吹雪の音の使い方などは上質だったが、ほかの場面ではいささかスコアが大仰過ぎる。(仕方のないことではあるものの)モンタージュ編集の場面に顕著だった。もう少し後ろに下げても良かったかもしれない。

 声優と音響監督のディレクションは素晴らしい。ぼんやりとしたダラけた口調や呂律の回らなさなど耳に楽しい。モブキャラの声優も恐らく本職でない方々の採用だろう。絶妙なリアリティラインが設定されている。声の雰囲気、口調の変化で演出される藤野の変化。白眉は(映画オリジナルで挿入される)アシスタントを巡る編集との電話。言葉遣いがちゃんと社会人だ。河合優実さん、あんな綺麗な声が出るのか。

 事程左様に、藤本タツキワールドアニメ化プロジェクトの一作として新たなアプローチングが開拓されていた。贅沢なアニメーションとして楽しませてもらったが、監督・絵コンテ・キャラデザ・作画監督を一手に引き受けた押山清高がただただ恐ろしくて仕方がない。私も扉の向こうの繋がらない世界に祈ろうと思います。

備考:坂本真綾がバカみたいな死に方をします。