くりふ

めまいのくりふのレビュー・感想・評価

めまい(1958年製作の映画)
4.5
【心にネガを抱えた男】

また、みちゃいました。何度もみられる、ある種の軽みがありますね。今でもたぶん、一番好きなヒッチ作品。

今更ですが本作のスコティは、以前の『裏窓』でもJ・スチュワートが演じた主人公ジェフと、身体トラブルで本職休業中、という境遇が同じですね。

で、心にできた隙間が更に大きなトラブルを引き寄せる、というところも同じ。で、二人ともカメラマン。ジェフは職業として。スコティは心そのものが。

スコティの方が深刻ですね。撮った写真を忘れたくても、離れてくれない。

依頼により追っていた謎の女、マデリンとの間に起こる、ある悲劇。それは残酷にも、スコティにとっては最高傑作として、まるでネガのように、心に焼きつけられてしまうんですね。

しかしまだ、デジカメもない時代(笑)。ネガを封じていては、心を腐らせるばかり。壊れゆくスコティは、「プリント」するしか解放されない、と思い込むが、幸か不幸か、そのきわどいチャンスに巡りあってしまう…。

私は、本作が愛の物語だとは、あまり感じません。愛、といっても人の数だけ種類があるのでしょうけれど。

これはある男の執着心…妄執に囚われてしまった男の物語だと思います。

目の前の、現実の女性を愛するとか、二人で愛を育てるとか、双方向であることができず、自分の心中の妄執を見たい、かたちにしたい、という強烈な「プリント執念」だけで突進してしまう、哀しきスコティ。

彼の行動は『コレクター(1965)』で、蝶を収集するように女性を監禁する、テレンス・スタンプ演じるフレディと、あまり変わらないようにも思えます。それに巻き込まれた側は、たまったものではないですが、皮肉にもそれが、ある隠された事件の結末を導き出すわけですね。

そして面白いのは、彼の妄執は、妄想であると切り捨てられないところ。マデリンという女は架空でもあり、現実でもあり、だったわけで。

映画の後半で遭遇する出会い以降、みるみる混乱してゆく、スコティのアンビバレンツな気持ちは、とてもよくわかります。だからこそ、印画紙となった「彼女」も、受け入れてしまったのでしょうしね。

そこが蝶の収集とも言い切れぬところで、本作の罠でもあります。

名手ソール・バスによるタイトルを、とても象徴的に感じます。威圧感を膨らませ、個人が特定できぬように拡大された、女の顔。何かを隠すように黙した口と、挙動不審の瞳。

そしてその先で、こちらを見据えた視線から浮かびあがる、渦巻き「めまい」の罠。

渦巻きは、マデリンの巻き髪に引継がれ、スコティをいざなう。やがてスコティは、自分が渦巻きの中心にいるのに気づくことになる。監督は360度の撮影で、バスはポスターで、この図をはっきり見せつけます。

一方、マデリンの視点から本作をみ直すと、これがまた面白いんですね。彼女はどこから、本気だったのか? …それとも??

バランス的に、マデリン側の言い分を、もっと噛み砕いてみせて欲しかった気はします。が、今のままでも諸々、想像できるところがまた、楽しいのですけれど。

さて、幽霊でもあり、生身の女でもあり、ストレンジャーでもあるような、「マデリン」という女はいったい、何者だったのか?スコティにとって、「彼女」にとって。そして離れてゆく「彼」にとって。

また、物語が終わってスコティは、厄介な「心カメラ」を捨てられたのか?撮ってしまった墜落死の悪夢、美しきマデリンの横顔。そして三枚目…。

ん~、面白い。やっぱそのうちまた、みたくなるだろうなあ(笑)。

(当時)一昨年にみた、『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド』にて、本作がある視点から、面白く分析されていたのですが、ようやくソフト化が決まったようなので、そちらをじっくりみ直してから、いずれまた、渦巻きにまかれたいと思います。

それにしても、私はキム・ノヴァクさんはちょっと、肥えた感じがして、一目惚れする気にはならないので、スコティも救心飲んだらすぐ、めまい、治っちゃうんじゃないの? とも思ったりする今日この頃です(嘘)。

<2010.6.2記>
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