ヨダセアSeaYoda

憐れみの3章のヨダセアSeaYodaのレビュー・感想・評価

憐れみの3章(2024年製作の映画)
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原題は『Kinds of Kindness』。“優しさの(複数の)形”、“親切心の多様な表れ方”といったようなニュアンスに感じる今作は、間違いなく“多様な人間性”を描きあげる1作だった。

第1章では「会社の上司に選択肢を奪われ、人生を取り戻そうとあがく男性」をとおして“支配と欲望”を、第2章では「失踪した後に戻ってきた妻が別人のような挙動を見せて困惑する男性」をとおして“愛と服従”を、第3章では「崇拝の対象として予言された人物を探し求めて奔走する女性」をとおして“信仰と盲信”を描く今作。
各章の内容はそれぞれかなりクレイジーで衝撃的であり、中でもひとつはかなり“ぶっ飛んだ”ものとなっているが、そこに浮かび上がる人間模様や、人々が見せる挙動・心の動きは強い現実味を帯びており、ただの混沌としたおとぎ話として片づけられるような作品ではない。

まさかの展開に息を呑んだり、衝撃的な挙動に言葉を失ったり、予測不能でブラックなハプニングに吹き出したりしながらも、そこには我々の日常のすぐそばにありそうな、さまざまな人々の個性が丁寧につむがれており、まさに多種多様な“人間のあり方”を観察しながら作り上げた、“人間図鑑”といえるような映画として仕上がった。

1本の映画で同じ人物が異なる人物を演じたことは、“今作の登場人物を特定の誰かとして認識させず、ありふれたひとりの人間として扱っている”と解釈することもできるし、“誰もがパラレルワールドのようにさまざまな人生を歩める”と解釈することもできるし、“最高のキャストが色々な演技を見せてくれるから味わってくれ”と素直に受け取ることもできそう。

兎にも角にも、これだけ豪華な演技派俳優たちがこぞって複数の役柄を見せてくれることは今作の大きな魅力。特に今作には、そこまで表情が変わっているように見えないのに、その些細な変化や視線、佇まいで感情を表現することに長けた俳優がそろっている印象がある。衝撃的な作風にもかかわらず、そこだけに心を奪われずに演技も楽しめるのは、途中でそれぞれの役柄が変わる形式と、衝撃的な要素に負けない印象的な演技を残せる彼らの才能ゆえ。

ランティモス監督は一度脳内を覗かせてほしい。

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