映画で人が困ってる顔を見るのが好き、という良くない趣味がある。シチュエーションにもよるが、こちらにはなんの責任もないので、安心して他人事のように、予想外のトラブルに見舞われて困る人の様子をポップコーンを頬張りながら見ている。
教皇選挙を執り仕切ることになってしまったレイフ・ファインズは、自分の職責に疑問を持ちながらも、人としてどう正しくあるべきかを考えて行動する。
徹底して狭いバチカンの話だけを描いているように見えて、これもまた世界の縮図であって、自分がどう考えどうすべきかを見ているだけで問われ続ける。
こういう話なので必然的にセリフは多くなるが、だからといって多くを語り過ぎているわけでもない。むしろセリフのないシーンに深い意味がある。キリスト教の知識がないのですべては理解できなかったが、おそらくこれは宗教的なモチーフなのだろうな、というシーンはいくつもあった。わかる人にはさらに心に響いているだろう。
イザベラ・ロッセリーニが在りし日の御母様にそっくりになっていてそれだけでうれしくなってしまった。とても素敵でいらっしゃいました。