みつこ

シャイニングのみつこのネタバレレビュー・内容・結末

シャイニング(1980年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

冒頭から何か悪い事が起こりそう、と視聴者に訴えかける演出に、主人公の演技が合わさり、既に破滅を物語ってる。

息子に暴力を振るった父親を擁護する母親に、面接で残忍な事件を聞いても眉ひとつ動かさず、自分はできると根拠のない自信に満面の笑みを浮かべる父親。


「人は皆いずれ死ぬ、そして父親は少なくとも映画の中で死ぬ。」
これは私にとってサイコパスな父親が破滅に向かう映画だと確信させる演出だった。

音楽、映像、キャラクター、全ての要因が不気味で、恐怖を本能的に訴えてくる、そのキューブリックの手腕には惚れ惚れしてしまう。

一方、演出ばかりが目立ち、スティーヴン・キングの良さである、登場人物の奥深い人間性や、日常が悲劇に転じるまでのギャップのようなもの、作品のテーマ性などはあまり感じられない。
そういう意味ではスティーヴンキングファンは期待を裏切られる映画なのかもしれない。


しかし、逆に言えば、幸せな家族が悲劇を迎えるより、元より不安定な家族が悲劇を迎えるほうが視聴者にとってはある意味、心の準備ができて安心である。
悲劇も破滅も然もありなん、と。


スティーヴン・キングが言った“エンジンが積まれていないキャデラック”とは、
主人公が持つ人間味のある葛藤と、映画のテーマ性(エンジン)と引きかえに恐怖演出(見た目の豪華さ)全振り映画になったと言う事だと、私は考える。


あの映画からテーマ性を頑張って、無理矢理受けとるなら、
“遺伝子レベルの人格は変えられない”
“環境によっては自分を繕えなくなる”
といったところであろうか、自信はないし、考察サイトへやっかいにもなったのだけど、結局釈然としない。

最後の最後に映る写真の支配人が主人公だったことから、主人公の魂は何度も繰り返し、あの魔のホテルに戻り、破滅を繰り返している?
だから“遺伝子レベルの人格は変えられない”?

ドナー隊が遭難し、雪に閉じ籠られ、人肉を食べながら冬を乞えたという、ホテルへ向かう車内での会話から、閉鎖的環境によって人は変わってしまう、みたいな?
だから“環境によっては自分を繕えなくなる”?

しかし、キューブリックが何を言いたかったのかは、結局のところキャデラックの部分で、エンジンを知りたければ原作小説を読めってことですよね!

この映画は、鏡や色を使った演出のテクニックや、カメラワークのセンスを楽しむためのエンターテイメント映画!
きっとそういうこと!!

なんだかとてもレビューを書きづらい映画だった!
映画を見終わったのは3日も前の事なのに!
みつこ

みつこ