最高!最高すぎて、何がどう最高か文に起こすまで2日かかった。
まずもってショーン・ベイカーの映画って、人間の獰猛な部分をいやってほど見せつけながら、深刻な問題を各人に考えることを決して強いるノリなわけではないけど確実に目の前に事実として格差を突きつける、みたいなある意味での冷徹さを持っているのが本当に大好き
アニーやHQで働く登場人物たちはその日暮らしのような生活を凌いでいるだけに見えてもその瞬間を楽しく過ごす気力はあり、チャンスさえあればその境遇を覆そうとするエネルギーもある。
私はそういう気概が好きだし、環境に文句垂れてるだけじゃない人間の物語は深い感情移入なしにみることができない
お互いに愛を誓ったのに、どこまでいっても埋まらない果てしない隙間がイヴァンとアニーの間には存在していて、アニーが自分を相手のスタイルに順応させてまで一緒にやっていく気になったのは良いことかもしれないけど元来持っていたギラギラしたハングリーさを失っていくのは物悲しかった。
一方で、手に入れてきたもののすべては(親の)金と引き換えでしかないので、突出した能力やそれを身につける努力みたいなものの存在を知り得ないイヴァンを憐れに思った。
でも「金さえあれば実現/解決できたこと」を、大金を持たざる者である立場として金を理由に見送った経験があるわけだし、平市民の私が資本主義の申し子のようなイヴァンを見下すのも滑稽な話だとも思った。
また、優しさにあふれた空気というのがいくつもあり、HQをやめるとなったときに自分のことのように喜んでくれる同僚たちの祝福や、突然現れた部外者のイゴールがよくわからない理屈で気まぐれに自分のかわりに明らかな強者に対して反論してるのとか本当に泣きたくなった。(怒れる代弁者を常にわたしは求めているから...)
始まりも終わりもないような2人にあり得た救いの分岐点をあげつらい、問題意識をもって善人のような振る舞いをしたとしても結局は、前提情報を共有するような同じ土俵にいる範囲でしか相手を適切に見ることも知ることもできないというジレンマに苦しくなる。(明らかに立場の違う人間の言ってることってよくわからないし、言うのは簡単だよなとかそこじゃねーよとなり、机上の空論に感じることが多いので)
そして必要なのは、その苦しみを無視して排除するのではなく自分のものとして噛み締めていくべきで、つまりは相手の地獄の存在を認識すること、そしてたくさんの人と話をして自分の知らない世界を想像すること、そこから始まる理解があるかもしれない(※必ずしもあるわけではないけど諦めない)という姿勢でいること、だと思うんだ