思ってた以上に面白くて上手くて楽しんだが、ラストが結構減点要素になった。せっかくロジカルで交渉と対話を唯一していたアノーラという人間をぼかしてしまった気がする。映画的なものを狙ってあのラストにしたのだと思うが、村上春樹の小説みたいになってしまった。最後は映えをとるよりも独りのシーンにするべきだったと思う。
私はショーン・ベイカーのインタビューも他の方の感想も見ていないので見当違いの感想になってしまうかもしれない。この劇中の中でセックスワーカーとして、報酬と交渉と契約に則って受託/奉仕をアノーラはしている。全てがロジカルかつ対話を基にしている。だから倫理も一貫性もあり相互認識の元で婚約もする訳だが、それがイヴァンの両親の圧力の元、その配下にいる人間たちの強引な行為で彼女らは引き裂かれる。そこに相互理解も交渉もない。言うなればロシア的な絶対服従というものによって法的な婚姻は侵害されていく。法という極めて論理的なものが非論理的なものによって破壊されていくことを描いているのがこの映画だ。
これはシンデレラストーリーでもなんでもなく、強権および家系というものによって、個人の意思が蹂躙されていくまでを見届ける作品なのである。そこに従事する人間たちは機能としてそれを果たそうとして正に飼い犬のように働き、至らない仕事をしていく。愛を夢見た人間がそれを数日で失う。これはロシアに限らず権力というものを前にして労働者が闘う持ち札まで奪われていく物語なのだ。
技術面でいうと撮影も編集も上手くグルーヴのあるもで、そこで起きていることだけで牽引していくところは「タンジェリン」を彷彿とさせる。で、この話を契約として奉仕するセックスワーカーの物語とさせる有効性が途中まではあったのにラストでそれが失われてしまった。なのであれば監督がセックスワーカーというものに聖性を持っているように見えてしまい、この設定も脚本も「映え」というもののために設計されていると感じてしまうのだった。まぁそれでもこの「対話が成立しない」の暴力性は正に劇中で放たれる「レイプ」そのものであるし、今確かに現代に存在する権力や国家というものを描けていると思うのだった。そして劇中アノーラもある過程の中でその暴力装置と化して命令する側と化する恐ろしさも際立っていた。
オスカー取ったマイキー・マディソンもノミネートされたユーリ・ポリソフもよかったけど、私はマーク・エイデルシュテインが一番良かったなぁ。私立校の自分のものではない金にものを言わせてそれが当たり前に思ってるボンボンって本当にあんな感じだったもん。