数年前に『あみこ』を見た時こんな尖った監督がいるのかと嬉しくなったのだけど、今回の尖り方はちょっとキャパオーバーだった。カナの過去や自業自得とは言い切れない現状もあそこまで相手を傷つける理由としては足りないし、ラストの先にはあの2人のわかり合いがあったのかもしれないけど、そこにも至らず一方的なカナ目線で映画が走りきってしまうのを自由奔放と擁護していいのだろうか…カナの抱える問題も現実にはシリアスなもので、半ば投げやりにそれと向き合わない姿を見せるだけでよかったのか。
この社会でうまく暮らせないのは彼女だけのせいではきっとない。映画は社会を良くすることと全く無縁でもいいのだし、カナをカナのまま映したこの映画はこのままだからこそ成立している。それでも、その生き辛さや、分かり合えなさに対する現状追認を超える何かがあって欲しかったと思ってしまうのは、単なる私の好みの話なんだろうか…悶々。