浦切三語

ステレオ/均衡の遺失の浦切三語のレビュー・感想・評価

ステレオ/均衡の遺失(1969年製作の映画)
3.0
映画というより「映像的学術論文」とでも言うべき作品です。全編がモノクロ映像、登場人物の台詞一切無し、BGM一切ナシ。ひたすらひたすら疑似SFに出てくるような専門用語オンパレードなモノローグ(それも報告書のような格式張った文体のモノローグ)が流れるという、何もしらない状態で見たら確実にポカンとする作品。事前情報を知っていてもポカンとしますが。

題材となっているのは「テレパシー」であり、脳外科手術によってテレパシー能力を身につけた被験者たちを施設に閉じ込めて観察するという話です。この作品ではテレパシー能力を人間の生物学上の機能のひとつとして捉えるのではなく、社会を構成するいち成員が持ち得るコミュニケーション・ツールとして「テレパシー」を設定した場合、他者とのコミュニケーションを行う過程で従来型の原始的な「共同体」をテレパシー能力者がどのように発展・変異させていくのかを思考実験的な仮説を組み上げて論じています。なんだか宇宙を舞台にしない「ニュータイプ論」みたいな話だなと思いますが、これはクローネンバーグの初期作品ですから、当然のことながら一筋縄ではいかないわけです。テレパシー能力を使用していると人類は精神と身体の境界線が曖昧なものとなりそれは性的指向にも現れてくるというのがクローネンバーグ流ですね。ホモでもヘテロでもバイでもない「包括的性愛指向性」を持つテレパシー能力者ですが、だからといって人間社会につきものの「競争」や「対立」から逃れられるかというとそうではなく、テレパシー能力者の最大の課題は「いかにして、相手のテレパシー能力者の力を推し量り、流入してくるテレパスをいかに制御するか」にかかっていて、それが出来ない未熟なテレパシー能力者は共同体から弾き出されてしまうというのが、なんとも物悲しく映ります。「スキャナーズ」の原型というより、クローネンバーグ映画のほとんどすべての基盤となっている作品であると感じました。

非常に難解……というかワザと難解な手法を選択した作品ですが、舞台になる建物の作りが非常に魅力的なので、「つまらない」と感じることはあっても、観ていて「飽きる」ことはないかなと。どっかの大学なのかな?カッチョ良くて好みです。
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