このレビューはネタバレを含みます
東京国際映画祭
感想、分析を見て感じたこと記録用:
映画というよりかはアート作品
謎が多く残されたまま”空白”が多かった作品(理解不足もあるかも...
- 水原希子演じるまほろは結局のところ"それ"だったのか(観察されているような描写はあったが明らかにされていない)
- 死んだ鳥の意味
- 新次(井浦新)の父親が登場しなかった(家庭問題を抱えていた?新次の娘、妻に対する反応に違和感を感じた。父親・大黒柱らしさを感じなかった。)
- 三浦透子演じる海の女の正体(結ばれることのなかった恋人?)
皆"それ"を物のように扱っていたが、新次は一人の人として扱っていたのが興味深かった。
- 「本棚を見てみたい」
- 「家族に会って欲しい」
- 「生きる価値があると自身の"それ"に伝える」
もう一人の失っていた自分を持つ"それ"と対話する事が当時の新次にとっての幸せだったのでは。
まほろはカウンセリングの中で新次の過去に焦点を当てるのではなく、未来への希望を持たせるべきだったという考察をしている人がいて確かにって思った。"それ"ではなく自身への生への執着が必要だったのかな。
作中新次、新次の娘、ピアニスト、まほろの"それ"が登場したが、皆幸せそうであり、自己犠牲が当たり前のようだった。(フィルムの影響?)
白("それ"、病院の人間)と黒(人間)のコントラスト
制限された世界で自由に生活している"それ"と自由な世界で制限された生活(病気、過去、境遇)をしている人間
新次が最後死を選んだのも、レールに乗って生きてきた自身の人生と"それ"の生活を比べ、"それ"を殺さない事によって自由を求めたからなのだろうか
だがクローンを使わない事こそ『徒花』。咲いても実を結ばない花=この世に作り出されても、本体が死ぬことによって"それ"も生み出された意味を失うのではないのか。