このレビューはネタバレを含みます
これは予想外だったなあ。予想外に心震わされた。あとから考えたら凄く「綺麗事」の映画かもしれないが、この希望が少ない時代に「綺麗事」を観たかったんだ、と気付かされた。
鏑木、見つからないのはともかく仕事に容易に就けずぎじゃない?とか、警察の捜査もう少し色々できない?とかディテールで思うところはある。しかし、何が正しく何が間違いなのか分からないこの世界で、それでも「信じる」とはどういうことか…テーマの真摯さと熱量に胸を揺さぶられた。
2024年に本作を公開した意義も大きい。袴田さん事件の顛末がなければ、本作の見え方はまた違っていただろう。実際に無実の罪を着せられ、人生を奪われた人がいるのだ。その人の訴えが聞き届けられるまでには、途方もない時間がかかった。本作のように上手くはいかないかもしれない。でも。上手くいくことは困難だ、そんなことは分かった上で作っているんだ…そんな声が聞こえてくるようだったラスト20分。
山田孝之演じる刑事が主人公に執拗に問う「なぜ逃げた?」。本作の核を担う問いだが、別に意外な答えが返ってくるわけではない。でも、主人公の答えにハッとさせられた。あまりに切実で真摯だから。翻って、そう思わせられるだけの説得力がそこまでの展開によって醸成されていたということ。
それを受けての山田孝之の行動こそ、現実を知っていれば「綺麗事」に見えるかもしれない。現実にはそうはならなかった…そんな悲惨な冤罪が幾つあったのだろう。しかし、それでもこの世界を信じていたい。それこそが映画「正体」のあまりに切実なメッセージだ。このラストの展開が、原作にはないことにも注目したい。何故、原作の後味とは真逆になるようなラストのシークエンスを、敢えて付け足したのか。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」然り「ルックバック」然り、悲惨な現実で生きていくよすがとなるような願いを投影する力が、優れた映画にはあると思う。「正体」もその一つだ。ラストカットは圧巻。あそこを無音にする勇気。表情と風景だけで全てを伝える撮影陣とキャスト陣。最後の横浜流星の表情はこれだけで主演男優賞ものだと思う。
藤井道人監督は社会派は似合わないのでは?というのが過去の作品を観てきて抱いた感想で、というのもドラマがペシミスティックに盛られるので毎回ちょっとげんなりしてたんだけど…本作については、ドラマティックに盛る性格がピッタリ合致したと感じた。
何故なら、社会問題を取り扱ったというよりは(勿論その側面もあるのだけど)、それ以上に、1人の人間の人生に寄り添っているから。そして、前向きな作品だから。この方向性なら、社会派なテーマで、藤井監督ならではの名作を生み出せる。その最適解に遂に辿り着いたような。
撮影は藤井監督最多の今村圭佑ではなく「ヴィレッジ」の川上智之だけど、これがまた良かった。希望を感じる温かい情景を切り取っている。あと「走る」シーンを大事に撮っている。吉岡里帆の家から逃げ出すシーンはどうやって撮ったの?という技巧もあり。ちょっと「スリー・ビルボード」思い出した。
大間々昂の壮大だけど繊細な優しさも見え隠れする音楽も見事。あとエンディングのヨルシカがドンピシャで、映画の完成度を更に押し上げている。
そして何よりも書いておきたいのは、キャスト陣の素晴らしい演技。横浜流星の表情で全てを伝える演技、お見事。逃走中の彼と出会う吉岡里帆、山田杏奈、森本慎太郎も皆上手くて…てか森本慎太郎マジで本業アイドルなのか。上手すぎ。
無表情を貫き通すことで、逆説的にふとした間や仕草に感情の移ろいが見えるようにした山田孝之の技も流石。木野花も原日出子も良くて…宇野祥平の安心感と山中崇のバケモノ感も必見。
あと、大阪パートに出てきたチーム「地面師たち」の2人!辛い社会を表すのがなんて上手いんだ…五頭岳夫が「ああああ〜」ってオロオロするのでちょっと笑っちゃったけど。そういう役が似合いすぎで、モブでもインパクト抜群だよ。
観てからちょっと経ったんだけど、未だに余韻に浸っています。実際には何を信じれば良いか分からないような問題ばかりが世界中にあって、だから「信じてみたい」というのは「綺麗事」で危ういなんてことも考えしまうけど。だからこそ「綺麗事」を信じられるような映画が今、観たかったんだ。今週から冬休み大作が沢山始まるのでスクリーン数減るかもだけど、是非、今、劇場で観てほしい。