垂直落下式サミング

CURE キュアの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

CURE キュア(1997年製作の映画)
5.0
10年前はなんにもピンと来てなかった。ホントに、なんにも見えてなかった。都会で暮らしはじめて、映画にかぶれはじめた若造には早かったんだな。ほんと、目隠ししてみてたに等しいくらい何も受け取れてない。こんな傑作なのに。お恥ずかしい。
黒沢清のCUREは、催眠と暗示によって他人に猟奇的殺人を行わせる事件の犯人を追う刑事の姿を描いたサイコ・サスペンス。
この最低限のあらすじさえも理解できてなかったのは、まったくもって、どうなのよ?これは、呪いではなくて催眠でしたか。そのレベルで理解できてなかった残念な子でした。
当時の僕は、この作品を語る言葉を持たなかっただろうし、正直なところ何も引っ掛かっていなかったのかも。もしかしたらこの異質な怖さを認めたくなかったから、画面に向き合わずにいたのかもしれない。
オバケドーンみたいなのじゃなくて、非常に上品なんですよね。向き合って話すとき、正面の人の顔がこちら側にいる人の後頭部で半分隠れる視点を、わざわざ切り抜いたりだとか。映画的な不穏さの出し方が秀逸で、そんなショットがずっと連続するのが、この作品のスゴいところ。ロングショットの追跡、傾くカメラ、薄暗い廃屋、不自然に広い室内、とても黒沢清。
さらに怖いのは、高部や佐久間など事件を追う刑事たちが「知る」ことで深みにはまっているうちに、間宮には一方的にこちらのことを「知られて」しまうところ。
間宮は、喋らない。自分を語らない。でも、こちらの情報は内から外から抜かれ放題。どんどん知られる。誰彼構わずアンタのはなしを聞かせてと、不遜に詰めてくる。
刑事もの推理もののセオリーに則るならば、通常なら犯人のやり口を理解するためには、その相手を深く知ることで、行動や思考のパターンがわかったり、真相にたどり着けたりするものだと思うのだけど、このケースにおいては知ってしまうことが罠になっているのが怖いんだよな。
催眠と暗示。この設定ならではのトラップ。ヘタに真相に近づいて操られるくらいなら、まどろんでいるほうがマシってのは、なかなかヒドイもんだ。これは、知見によって物事にアプローチしていく、インテリジェンスな問題解決メソッドの否定に他ならない。
知識の蓄積なんて役に立たない相手を、どうやって攻略するか。いや、攻略とかいってる時点で、間宮の思う壺なのかも。
知っていたとしても、理解できていたとしても、突発的な事故に対策なんかうてない。客に撲殺されるとか、とつぜん刺されるとか、後ろから撃たれるとか、心を病んだ妻と暮らしてかなきゃいけないんだとか、こういう世の不条理はやり過ごすしかないってみんな知ってるはずなのに、それはコントロールできるはずだと恥ずかしげもなく宣うなんて、アンタずいぶんと思い上がっているんだなと、そう言いたげに人を食ったような顔でほくそ笑む間宮。その表情、僕にもようやく見えてきた。