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その人は女教師のニューランドのレビュー・感想・評価

その人は女教師(1970年製作の映画)
2.9
✔️🔸『その人は女教師』(2.9) 及び🔸『彼女だけが知っている』( 3.6)▶️▶️

観る映画の1/3くらいは再見作になって久しい。正直今の映画にはついてくのが精一杯。多分、アカデミー賞取るだろう位に今風ポピュラーな『オッペンハイマー』等、アウトだろうなぁ。観たい気も起こらないし。周りの映画好きは、前にも繰返し云ったが、新作は殆ど観ない、皆無も普通。50を過ぎたら皆そうなってくのだろう。勿論70代でも新作を、少年の様にワクワク目を輝かし、初日に近く観る人もいるが。再見は、勿論昔?観て、重くなくスッと気持ち良かった作に限る。また、どっかに見直したいポイントもある。
昔、これも含め出目作品は併映かなんかで幾本かは同時代か·少し遅れて観てるが、荒っぽくスカスカの印象しかない。その中ではこれは幾らかストレートに伝わり来た、少しだけの好感がある。『~女教師』。
雑誌や宣伝のイメージは残ってるが、本編は三船息子の目力·顔力しか具体的には頭に残ってはいない。今観ると、画調·タッチ·展開共に、当時ブームのニューシネマやバゾリーニを更に、単純化し現代ものを越えて神話でも狙ったような直截的な作品だ。子供だましですらなく、あからさまな単純性強調内容を隠しもしない、その荒さ自体を力と考えてるのか 。
10·21への数の上では半ばは闘争参加を経ての70年安保成立前の、東京郊外かもっと地方都市の高校の、「牙を抜かれ、仲間を信じれず猜疑心の塊り」になってる(と対策担当狡猾教師は、分析)割には纏まって行動し·はみ出し者へも理解を示し、その中、(元全共闘闘士で、「政治的な不可解·理解不能」の生徒とのパイプ役として、学校·体制側が雇った)新任女教師と、(機動隊送り込みすらする、反動の「秩序」側の父持つ)一途で政治から恋へ突き抜ける(気持ちの同志感は保ってる)仲間の生徒との、「恋」は肯定的には認めず·内輪で反感·中には消極妨害すらする者もいる所から、最後には支える側に廻る(亡くなっての葬式の場だが、残った相手との絆への連帯表明)、生徒らの有り様が囲む世界。最初は少しだけ骨あるが、どうでもよくなってく。腰砕けにも見え、或いはそこに底辺の拡大力あるのか。連帯と恋愛の関係をもっと確かに突き抜けた映画はあった。ぐじぐじ触れないのか。「未成年略取誘拐」で教師を訴え、拘置する体制側と、「出発の起点」「信じ抜く」を体現してく、10歳の歳の差カップル。生徒の死をもっての抗議と、教師の絶叫は正にパゾリーニ。全く後進国·未開の国の事のようで、実際日本は正体そんな国なのだろうが、説得力持たすには、語りも「ある·ある」の巧妙さも必要だ。そもそも恋の起点の感情を身近に感じられない。まだ、田舎の為放送されなかった『バンパイヤ』以外では、知られてなかった水谷豊を始め、今観ると懐かしい顔もチラホラは嬉しいが。
(闘争·彷徨の)モノクロパート、色浅め粗めで望遠や(急)ズーム多用·そのアップの力、パンやフォローもスピード直截感、ユーモアなく·すさんだ外観だけの主人公ら、基本切返しや俯瞰めら唯々単純でアングラ学生映画風でもある。だが、他の出目作の印象を何とか思い起こすと、やはり彼の最高作レベルか。待てよ、遅れて観た60年代の1.2作目はも少し丁寧で、細部もある程度憶えてる位に地に足付いてた。70年代初めは、スタジオも力失い、映画の形がない時代でもあった、それに意識なく乗っかると、他の時代よりも無残。何しろウォーホルの『チェルシー~』のタッチがスタンダードになる時代だ。そこから、独創に脚踏み入れた作も生まれたが(アルトマン·神代、ラッセル·原正孝ら)。出目の場合、地方·過去を扱う『忍ぶ糸』のような題材を与えられると、旧風セオリーに疑いもせず、乗っかってしまう。
思うに、同世代の他の名匠はテーマを引き継ぎ発展もさせた後継者を複数持ったが、黒澤だけは優れた後世に残る作家を誰1人育て上げられなかったのか、森谷も含め。だが、田舎で子供で、5月革命も、日本への余波の安田講堂らも、TVニュース映像でしかなく·全くコミットはなく、その後のシラケ世代と言われた存在でしかない我々には、口惜しさも感じさせる作だ。
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小山明子特集も、初期高橋治の2本の紛いない秀作は再見したい好印象が残ってたが、気がつくと特集の最終日。『~知っている』しか残ってない。こっちの方は後の夫·大島と、婚約し、世紀の傑作『日本の夜と霧』を発表し、60年安保闘争の只中にいようともした、同じ年の初めの方の作だ。
「忘れたいの。貴方の事も。別れようと思う。一生貴方に引け目を背負って生きたくない」「いや、自力でもう忘れてる。自分の事だけを、と言いながら、他人の為に証言に向かった」「それは、私の事を越えた問題だから」「いや、自分の傷と正面から向き合って、乗り越えてる」松竹NVの中心の3人と比べても、やはり高橋のタッチは、格段に良くできてる。ジャズの軽快さや不安音·ドラムの盛り上げの適宜使いこなし、無駄ない美術セットへの夕方·夜間·曙時の柔らかくも異種の光と影の使い分け、多人数の全図からの寄りも絡めての、切返し·どんでん·90°変·向き合う横からのトゥショット·らのの押さえ方、縦図や俯瞰めやローの入れ方の鋭さ、寄るのやクレーンやフォローの移動の多用はしない締まり。只、アップ入れも絡んだりするごく短カット変え、斜め図の押さえ等、丁寧はいいが、ゴツゴツした力を削ぐ。全体に無駄なくシャープだが、その好感を大きく超え突き刺さっては来ない。だが、ヒロインのしゅん巡で、1人余計に通常ドラマからは、被害者が出た事など、本人と家族の及び腰のリアリティはしっかりしてる。ラストの靴音の間隔と接近感持ってく延々響き方も悪くない。何より、脚本·撮影·編集らスタッフの名が凄いのだ。
年末X’mas期、4日毎の女性への連続暴行殺人事件。4人目は酔っぱらってフラフラと通りかかった人の偶然で、命は助かるも、捜査本部の中心辺りの老警部の娘。父の部下が恋人であり·彼に内密の事もあり、娘の捜査協力が遅れる。いち早く現場で父が押さえた高価な指輪と·緩い輪の部分のせいで持主が落としたを修理してあり·その履歴調査と絞り込みに、事件翌日から家出·身を隠してた娘が·当日の侭の櫛から当時珍しいコンタクト発見のデータが加わり、精液の血液型でのふるいもかけてく。こうして被害が拡がる中、娘と囲む人々も、姿勢を改め·厳しい見詰めに研かれ、自己の問題も乗り越えてく。
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