冒頭に作家のサイン会が登場する映画は、もうそれだけで傑作の予感がある。ひょんな偶然から、互いに連絡を絶っていた重い病に侵されたマーサ(ティルダ・スウィントン)は、かつての親友イングリッド(ジュリアン・ムーア)と思いがけなく数年ぶりに再会を果たす。二人は若い頃、同じ雑誌社で一緒に働いていたが、イングリッドは小説家に、マーサは戦場ジャーナリストになり、互いに別々の人生を歩んだ。何年も音信不通だったふたりは、不思議な縁に導かれ、離れていた時間を埋めるかのように、病室で語らう日々を過ごす。冒頭からイングリッドの移動ばかりが特徴的に目立つ。病院へ入る姿は何度も仰々しく捉えられ、逆にマーサは病室のベッドに磔にされる。この2人の静と動のコントラスト(対比)が極めて印象的に据えられる。それは2人の青と赤とを基調としたカラー・デザインからも2人のシスターフッド的な展開は露になる。治療を拒み、自らの意志で安楽死を望むマーサは、人の気配を感じながら最期を迎えることを願い、「その日が来る時、隣の部屋にいてほしい」とイングリッドに懇願。悩んだ末、マーサの最期に寄り添うことを決意し、彼女が借りた森の小さな家で暮らし始める。『The Room Next Door』というタイトルの意味は「隣の部屋」に起因する。
昨年、衝撃的な死を遂げた中山美穂は晩年のコンサートの中で、この「ドア」に関する話をしていたことを真っ先に思い出す。人には様々な出会いがあり、それぞれに思いがけないドアを開けることになる。そこには今いる空間とは別の「不思議で思いがけない」空間が存在する。人生とは出会いの「ドア」そのものであると彼女は言った。マーサは子宮頸がんのステージ3だから、まだ余命宣告される段階にはない。ところが彼女は自分の死のタイミングを決めたと言い放ち、あろうことか死を恐れる書物を発表したばかりのイングリッドを最期の隣人に指名する。親友の本に「二度と起きてはならない」と書き添えた姿に明らかなように、人生は一度きりの瞬間ばかりで構成される。エドワード・ホッパーやアンドリュー・ワイエスの芸術的な絵は、静止画という固定された状態で彼女の背景に留まる。それはしんしんと雪が降り積もり、多幸感の中で見たバスター・キートンの動画とは決定的に何かが違う。あたかも静止することが「死」そのものであると言わんばかりに。70を越えた大作家の肉体の死は永遠の死ではないという静謐な境地に魅了される。ティルダ・スウィントンもジュリアン・ムーアも御年64歳でその芝居は的確で見事と言っていい。アルモドバルにとって初めての全編英語による長編は、その抑制の効いた演出とテキストにより、肉体の死の深淵を見つめた恐るべき傑作である。