このレビューはネタバレを含みます
ブリジット・バルドーレトロスペクティヴ-BB生誕90年祭- にて鑑賞。
1962年、人気絶頂期のブリジット・バルドーによる、ブリジット・バルドーの肖像である。まるで『軽蔑』の撮影風景を追ったドキュメンタリー『パパラッツィ』のフィクション版のよう。
“世界で最も写真に撮られた女性”とも言われたブリジット・バルドーは、結婚と離婚を繰り返し、その華麗なスキャンダルをマスメディアはパパラッチし制御不能になっていった“バルドー現象”を、バルドー本人が演じる奇妙な二重構造の映画である。
主人公のジル(ブリジット・バルドー)は“架空のジル”というイメージに圧倒され、生きるスペースを失っていく。パパラッツィに追われる彼女に“私生活”はない。
共演はイタリアのスター、マルチェロ・マストロヤンニ。撮影は「大人は判ってくれない」のアンリ・ドカエ。
今作のテーマ性から意図的にか、内容も内容なだけに終始陰鬱で暗く、画面はこれで4Kと思ったほど、元のフィルムの状態はさぞ酷かったのだろう。
セレブに向けられる誹謗中傷や、有名であるがゆえの孤独という現代のSNS時代にも通じるテーマ性の探求は、さすがはヌーヴェル・ヴァーグの先駆けと言われるルイ・マル監督らしい作品である。
ルイ・マル監督はこの時代のフランスの監督には珍しく多様なタイプの映画を撮っているなかで、タイトルは有名な映画ながらお目にかかれない作品だったため興味深く観たものの、実際にマスコミを賑わしていたバルドーの私生活の‘’イメージ‘’が、この映画の中のバルドーを上回っていると思え、虚実が崩壊している何とも形容しがたい不思議な作品で、監督の現代に通ずる鋭い視点と挑戦的姿勢は評価に値する。
印象に残るショットは、映画内現実のバルドーが、スクリーンに映し出されるスクリーンの映画内フィクションの抱擁シーンをオーバーラップさせる手法とか。
だが、映画の冒頭から嫌な予感が的中し、大好きなバルドーとマストロヤンニの共演にもかかわらず、2人の魅力を感じられないまま、不思議なほど最後まで楽しめなかった。
脚本にはBBの実体験も脚色込みで反映され、ジルがエレベーターで清掃員の女性に「下劣なアバズレだよ。裸を見せ大金を稼ぐ」などと罵られるシーンがそうらしいが、たしか街を歩いていたらいきなり見知らぬ他人に引っ叩かれたエピソードは聞いたことがある。そんなイメージが、後々ヴァネッサ・パラディにも引き継がれている、ロリータの元祖女王でもある。
古都スポレートの美しい部屋に引きこもった一人ぼっちのジルが、19世紀の詩人シャルル・クロの恋多き女性についての詩「シドニー」をメロディに乗せ、ギターで弾き語るシーンもどこか象徴的で切ない。ヴェルディのレクイエムをバックに、BBの表情を1分間以上捉え続けるラストショットについて、撮影のドカエは「一種の終わりなきサスペンス」と表現した1番好きなシーンだという。