ティモシー・シャラメの神々しいご尊顔を拝観しつつ、ボブ・ディランの名曲を楽しむ130分。
最初から最後まで、ボブ・ディランを知らずとも聴いたことのある名曲ばかり。
ミネソタから出てきたばかりの19歳のボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)が、難病で入院するフォークシンガーのウディ・ガスリーに会ったのをきっかけに、同じくフォークシンガーのピート・シーガー(エドワード・ノートン)に見出され、名声を手に入れていく。
ティモシー・シャラメ、かなり声も雰囲気もボブ・ディランに似せてきてるが、とにかくイケメンすぎ。
だって、パンツ一枚でギター弾いてても「抱いて!」って女子が寄ってくるんだぜ。俺もアパートでパンイチで下手なギター弾いてることあるけど、大家に通報しかされたことないよ!?
冷静になって考えると、パンイチでギター弾くだけじゃなく
・コンサートを途中退場する
・美人ばかり二股かける
・ゴミを指定日に出さない
など、基本的にゴミというかクズ野郎なんだよね。それを「苦悩に溢れた天才」に見せてしまうのは、監督であるジェームズ・マンゴールド(「フォード&フェラーリ」とか)の上手さなんだろうなぁ。
ちなみに、女性美人フォークシンガーのジョーン・バエズは実在の人物だが、図書館で知り合ったシルヴィは、モデルとなった女性がおり(2011年に逝去してる)、その女性と、腕を組んでニューヨークを歩く姿が「フリーホイーリン」( https://www.sonymusic.co.jp/artist/BobDylan/info/540553 )のアルバムジャケットになった話も、すんなりこの作品の中に挿入されてる。どーでもいいけど、
「20歳そこそこの新人が、恋人と一緒に腕くんで、写真に写る」
って、令和の時代だと、スキャンダル以外の何物でもないんだけど、良い時代だよね。
このエピソードに限らず、めちゃくちゃ模倣された「ホームシック・ブルース」の映像 ( https://youtu.be/MGxjIBEZvx0 ) など、1960年代中盤のボブ・ディランのエピソードが細かく挿入されていて、とにかくロック警察の爺たちがロックバーで語りたがりそうな内容になっている。
「時代は変わる」
こう劇中でも歌われるように、公民権運動からケネディ暗殺、キューバ危機といった激動の時代を経て、ボブ・ディラン自身もフォークから、ロックやブルースに傾倒していくボブ・ディラン。
そんなディランと、「ニューポート・フォーク・フェスティバル」を主催し、ディランをフォークに留まらせようとするフォーク原理主義者たちの間に挟まれるのが、エドワード・ノートン演じるピート・シーガー。彼の存在感がとっても良かった。後半ずっと困り顔で、眉毛がずっと「ハ」の字になってたよね。
他にもジョニー・キャッシュとか、「ライク・ア・ローリング・ストーン」の冒頭のオルガンのエピソードを入れるために無理やり出てきたとしか思えないアル・クーパーとか、老人ホーム近くのロックバーで大盛りあがりしそうな登場人物が多数出演。
俺は知らなかったけど、エレベーターで知り合って仲良くなるボブ・ニューワースって、アルバム「追憶のハイウェイ61」( https://www.sonymusic.co.jp/artist/BobDylan/discography/SICP-5270 )で、下半身だけ写ってる人なのね。
(以下、余談)
ちなみに、ボブ・ディラン、ちょこちょこ来日してるが、俺も一度だけ、知り合いに連れてかれて、観たことある。
確か、10年以上前のZeppツアーの東京公演。
Zeppだから、客席はオールスタンディング。開演前も含め、2時間以上も立ちっぱなしのロック爺たちが、次々と立ち眩みを起こして倒れていく姿が壮絶だった。
しかも、セットリスト、ほぼ60年代の超有名曲をやらず、ようやく60年代の曲が出てきたのがアンコールの2曲。しかもそこで演奏された「風に吹かれて」も、原曲とアレンジが違いすぎて、曲の中盤まで、何の曲やってるのか判らんかった。
この作品は、いまでもそんな自分流を貫くボブ・ディランの若い頃がよく再現されてて、俺的には満足でした。
欲を言うなら、最近音楽映画だと必ず登場するノエル・ギャラガーにも出番を与えてほしかったです。ボブ・ディランの前座とか。
(おしまい)