2025年71本目
ボブ・ディランの歩き方
歌手として史上初めてノーベル文学賞を受賞した生きる伝説・ボブ・ディランの若き日を描く伝記ドラマ
『フォードvsフェラーリ』のジェームズ・マンゴールド(監督)×『デューン』シリーズのティモシー・シャラメ(主演)がタッグを組み、ミネソタ出身の無名のミュージシャンだった19歳のボブ・ディランが、時代の寵児としてスターダムを駆け上がり、世界的なセンセーションを巻き起こしていく約5年間を、時代背景を交えながら描いた。
1961年の冬、ギターを手にニューヨークへと降り立った青年・ボブ・ディラン。恋人のシルヴィや音楽上のパートナーである女性フォーク歌手のジョーン・バエズ、そして彼の才能を認めるウディ・ガスリーやピート・シーガーら先輩ミュージシャンたちと出会ったディランは、時代の変化に呼応するフォークミュージックシーンの中で、次第にその魅了と歌声で世間の注目を集めていく。やがてその独り歩きする評価に違和感を抱くようになったディランは、1965年7月25日、ある決断をする。
原作は、2015年に出版されたイライジャ・ウォルド著の『Dylan Goes Electric!』。ボブ・ディラン役のティモシー・シャラメのほか、『ナイブズ・アウト: グラス・オニオン』のエドワード・ノートン、『マレフィセント』シリーズのエル・ファニング、『トップガン マーヴェリック』のモニカ・バルバロ、『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』のボイド・ホルブルック、『ファンタスティック・ビースト』シリーズのダン・フォグラー、『カモン カモン』のスクート・マクネイリー、『嘘を愛する女』の初音映莉子らが共演。第97回アカデミー賞では作品賞を含む計8部門でノミネートされた。
本作は、ボブ・ディランという巨大なアイコンを「スーパースター誕生」の物語として単純に消費するのではなく、19歳の無名青年が自らの音楽と言葉を武器に自分の存在を切り拓いていく過程にフォーカスした作品だ。1961年、ギターを抱え、ヒッチハイクでニューヨークへたどり着いた青年・ディランは、憧れのフォークシンガー、ウディ・ガスリーの病室を訪れ、「名もなき者」として最初の一歩を踏み出す。
ジェームズ・マンゴールド監督は、ボブ・ディランがいかにして「ボブ・ディラン」という存在を形作っていったのか、その創造と自己確立のドラマを政治的・社会的な背景と並走させながら丁寧に描いている。60年代前半のアメリカ、フォーク・リバイバル運動と公民権運動が交差し、音楽と社会運動が地続きだった時代。本作は、フォークという音楽が社会への直接的なメッセージだった時代の熱量を個人の目線から炙り出している。
ティモシー・シャラメが演じるボブ・ディランは、驚くほど本人の仕草や話し方を再現している。ディランという人間のつかみどころのなさ、何を考えているのかわからないミステリアスさを見事に演じており、無表情にも見えるその顔の奥には、言葉にできない戸惑いや野心が渦巻いている。ティモシー・シャラメは5年間のギターレッスンを経て、ディランの音楽を自分のものにしただけでなく、ディラン特有の身体のリズム、視線の動かし方まで体得している。ティミーだけでなく、エドワード・ノートンやモニカ・バルバロの歌声も素晴らしかった。
ディランはウディ・ガスリーやピート・シーガーといった先人たちに憧れ、ニューヨークへやって来るが、彼は常に「フォーク」という枠に収まりきらない何かを抱えている。音楽は社会へのメッセージであるべきという時代の要請に応えながらも、音楽はもっと自由でいいはずだという衝動が彼を突き動かす。それは1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでの事件で象徴的に描かれており、”Like a Rolling Stone”を歌った瞬間、ディランはフォーク界の「救世主」から「裏切り者」へと転落する。保守的な社会への反体制運動だったフォークシーンが気づけば自ら保守に回ってしまうという皮肉と、かつて変革を叫んだ先人たちが変革する若者に動揺するという世代間のねじれを、ユーモアを交えつつ鋭く描いている。
他の音楽伝記映画と一線を画すのは、アーティストの内面に直接切り込もうとしない姿勢。ディランは劇中でも何を考えているのか分からない存在として描かれ、時に饒舌に語り、時に沈黙し、決して本音を明かさず、観客は彼の言葉や音楽、そして時折の視線から彼の心の断片を想像するしかない。その距離感は、ディランというアーティストへのリスペクトでもあり、同時に彼が時代と社会に対して持っていた独特のスタンスとも重なる。本作は、ディランを通して時代を描くと同時に、観客や仲間、恋人たちなど時代の中でディランを見つめた人々をも描いている。
若きボブ・ディランは、時代の寵児でありながら、自らの殻を破るために何度も裏切りを繰り返す。何者にも縛られず、自由であるために、彼は常に変化し続ける。『名もなき者』というタイトルには、そうした「自分を定めない生き方」への肯定が込められているように思える。