ShotaSuchi

マトリックス リローデッドのShotaSuchiのレビュー・感想・評価

4.3
バレットタイムといわれるカメラワークとスタイリッシュな装いで一世を風靡したSFアクションの続編にして、「好きな映画はマトリックス!」と言うと「ああマトリックス(笑)私はちょっと...難しくて...」とさながら変態を見る様な扱いを受けるようになってしまった3部作の2作目。

仮想空間という庭で人間を支配するAIと現実世界の数少ない目覚めた人間の戦争。エージェントスミスだけがAIなのではなく、様々なAIが様々な役割を担い、マトリックス(仮想空間)をマトリックスたらしめているという設定、大変面白く鑑賞。高速道路アクションは3部作の中でも屈指の名場面。

がしかし、いかんせんやり過ぎた。マトリックスの雰囲気が大好きで何回も観てそれなりに考察するのが好きな俺でもリローデッドは「こいつ何言ってんの」感がじわじわ映画を観る集中力を奪い、意味わからない問いかけに主人公たちが相変わらずスタイリッシュな装いで回答している様子を観て、「いやわからないでしょ」と思い、主人公のネオは物語の終盤誰を救うのか選択を迫られるのだが、このシーンまで辿り着かずに高速道路チェイスでも終えたらビデオの電源をOFFにするという選択肢で俺たちは俺たちを救うべきだ。当時俺は中学生だったが一緒に映画館に観に行った母ちゃんは途中で俺に「先に出てるね」と耳打ちし劇場を後にした。あの時俺の母ちゃんは自分を救う選択をしたのだ。ネオは救世主風情に顔色ひとつ変えずに難しい話を聞いているが、このシーンまでたどり着いた猛者たちはネオよりも動じない「どうせわからん」。何が救世主だ、破綻した映画をこうやってレビューしてるたくさんの人たちが救世主だ。俺も救世主だ、わかるか監督。とにかくマトリックスは本当に大好きなのだが、マトリックスをマトリックス(笑)にしてしまったリローデッドには少し言いたいことが多い。


追記
2019年、マトリックス20周年の年に前作一気見すると、より整然とした物語だったと感じるようになった。

AIと人間の戦い、独立戦争であり、AI同士の思想戦争に人間が利用された或いは人間がそこを突いて妥結点を探った、、、のか。

リローデッドは若い頃は破綻気味に感じたが冷静に見直したそれはむしろ物語の確信をしっかりとしかし映画のテイストも崩さずに観衆に説明するための必要悪だったのだと感じる。

メロビンジアン、オラクル、アーキテクト、エージェント、そしてスミス。それぞれのAIが各々の仕事を果たし、利害の狭間で人間が弄ばれる。ネオは旧来の救世主ではなく、AIと対等に物事を話し合える存在だったからこそ、ファーストでは「救世主ではない」と言われたのではないか


まとまりがないが、改めてその傑作ぶりに驚いてしまった
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