マーフィー

悠優の君へのマーフィーのレビュー・感想・評価

悠優の君へ(2023年製作の映画)
3.7
2024/11/20鑑賞。
福原野乃花監督の舞台挨拶付き

音声は服のスレ?みたいな音が色々入ってノイズになったけど、
カット割はすごく綺麗だなと思った。
語りすぎない脚本もいいなと思った。

空は悠にとっては「自由の象徴」、対して優乃にとっては「何の汚れもない完璧な存在」
普通の生活にうんざりしてる悠と、普通になりたい優乃。
お互いに異なる悩みを抱えている2人だけど、
同じ「本当は誰かに聞いて欲しかった」があって、お互いがお互いに救われる。

どちらも誰かから「今までよく頑張った。つらかったね」という言葉をかけてもらえるのを心のどこかで待っていたのかもしれない。
心からそう言ってもらえる相手に出会えた物語。

いくつか精神疾患を扱った映画を見てきたが、共通するのはやはり「孤立の病」であることだと思う。
周囲の偏見や自身の持つスティグマの意識などから人やサービスに頼ったりすることができない状況になると、生きづらさや苦しみがどんどん増していく。
優乃も、「隠すと決めたら助けを求められない」という悪循環に陥ってしまっていた。
反対に理解してくれる人や繋がりがあれば、それが救いやケアになる。
「私にできることはない?」と歩み寄る悠の存在は、その言葉以上に優乃の救いであったと思う。
何より「心の側にいてくれ」ることが状況を悪化させない重要なことであったのだろう。

また人間誰しも「大丈夫」って言ってしまいそうなところで、ちゃんとヘルプを出せる勇気や出しやすい関係性が必要であることがよく分かる。
それを優乃だけでなく悠の「大丈夫じゃなくて、言いたいことがあって...」というセリフでも感じたのは、この映画が強迫症を描いたものでありながら広く様々な悩みを抱えた人に寄り添える映画であるからだと勝手に思った。


強迫症については、症状そのもの以上に、「その症状でどのような状態に陥るのか」ということを語る場面がとても勉強になった。
「私の頭の中で、自由がなくなった」
「気づけば居場所も自由もなくなっていた」
「そこはハンカチじゃないんだ」→「洗ったらスッキリしてどうでもよくなるってか」
などなど。
「手洗いに◯分かかる」、「お風呂に◯時間かかった」などのエピソードももちろん息苦しさを理解するには必要だが、それに付随する感情を理解することで解像度がかなり変わってくると思う。

パンフレットには簡単に強迫症の説明がまとめられている。
また舞台挨拶では例えば強迫症の手洗いについて、その背景にある心理が人によって異なることを学んだ。
複数人の当事者が出るような映画なら、そういう多様な部分も掘り下げられるのかもしれない。



舞台挨拶メモはコメント欄。
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