1950年代のチリで実際に起こった女流作家の恋人殺害事件を基にした話で、内気な一女性が殺人犯の心情に寄り添おうとする姿に、抑圧された女性の自由を求める心が投影される。人は誰しも心の赴くままに生きたいという願望を抱えてるけど、実際その通りに行動できる人は限られてるし、生きたいように生きられるというのはある種の才能だと思う。マイテ・アルベルディ監督は、「83歳のやさしいスパイ」で特別養護老人ホームを牢獄のように描いており、「抑圧された心の解放」という点で本作と共通するものを感じた。
裁判所で秘書を務めるメルセデスは夫と子どもたちに囲まれた賑やかな庶民生活を送っており、夫のいびきに始まり家事に追われる彼女の姿に、日常の喧騒に埋没した疲弊した心が示される。ある日、人気女流作家のマリアがホテルのレストランで恋人男性を銃で殺害するという事件が起こり、彼女の裁判でメルセデスが判事の秘書としてマリアの身辺調査を担当することになる。メルセデスがマリアの自宅を訪れて、マリアの化粧品や衣服を身に着け始め、やがてそこが自宅であるかのように暮らし始めるのがタイトルを表してて、自分が調査対象と同化していくというプロットは「メイ・ディセンバー」を彷彿とさせる。
電気床磨き機を「おとなしく家庭に収まる女性」の象徴として登場させるのが上手い演出。正反対の境遇を生きるメルセデスとマリアがタバコで繋がるのが洒落てて、会話は交わさずとも目を見ただけで心情を読み取る感じにジーンと来た。メルセデスの夫がマリア宅で暮らす妻の行動を詰問するシーンで、夫が泥のついた靴で家に入ってきて床を汚すのが、男の無神経さの表現になってて印象的。マリアが殺人を犯したにも関わらず、たった500日程度の服役で重い判決だと言われるのがちょっと違和感あったけど、最終的には恩赦となって穏やかな結末を迎える。国や時代によって、司法の扱いも変わるということだね。