ほんの小さな善意かもしれない。そこには好奇心や興味本位、怖いものみたさや少しの偽善的な思いさえ混じっていることもあるだろう。
いろんな「割引」をしたとしても、やはり誰かを助けようという意思はすばらしい。画面越しであっても心温まるし気持ちがいい。
若いイタリア人監督が車で移動する中で、ふだんの自分たちがどんなに恵まれているか涙目で感じいる場面があった。安全で破壊されていない側から、あちら側に触れると当然、それは強く感じる。ただ、いつ何時、「こちら側からあちら側」になるのかは分からないし、その可能性は実は大きい。助けるのも助けられるのも紙一重なのだ。そのことも念頭に置いておきたい。
個人的にも、自然災害でいうなら、阪神大震災や東北の震災では被害は少ないけれど助けられた側(あちら側)にいた。恩返しの意味でいつか機会をみてボランティアには行きたい。
※能登は何十年も地震や豪雨災害もほとんどない穏やかな場所だった。それが今年は未曾有のダブルパンチ。そして阪神や東北も震災以前はそんな言われ方をしていた。もはや日本には安心できる場所はないと心得ておくべきなんだろう。