ニューランド

フレンチドレッシングのニューランドのレビュー・感想・評価

フレンチドレッシング(1998年製作の映画)
3.9
 斎藤久志については、21世紀になってからPFF回顧上映で『うしろあたま』という、一般公開したら邦画年間ベストクラスの傑作でショックを受け、その後は共に傑作、劇場用第一作『はいかぶり~』や、TVで軽く寝っころりながら観てしまった·映画雑誌の年間ベストワン『草の~』、位で、この作家に注目と決めながら、怠け者の私は注意を怠り続けてきたのか、目に入るような華々しい上映会はなかったのか。
 しかし、マンガが原作という本作の上映をFAの追悼上映で観れる。これは真の傑作だ。軽いフォローしかけのパンや姿勢変え追ってのティルト、左右に動きを繰返し移動して押さえる、廻り込みパンして別部屋捉え戻るまたフォローめく、正面等の寄りの長めフォロー縦移動、90°変やどんでんの寄りの(縦図)切り替わり、時間経過やラストの黒身長く入れての切返しや角度変、玄関から中へ入ってのどんでん、時たまの角度変アップ顔ら挟み、らがあるくらいで基本長廻し退き固定ワンシーン通しカットを連ねてゆく、不可思議な心理と状況の展開は、世界トップレベルのR·アンダーソンに匹敵すらする。自主映画·学生映画を抜け出てない感じを漂わせながら。
 妻とその愛犬を殺したらしい?自殺の為の銃を作ってるらしい·中学教師と、どこ何時でも眠り落ちする奇病の持主で·皆に苛められ続けもヘラヘラしてる(だけでもない)教え子男子と、それらの「見学者」でありたいと言いながら変に係わってくる同級女子が、教師が2人を別々に強姦した縁以上に、変に懐いて緊張関係を愉しみ、「パパ」と呼びながら、教師を触発しての、学校を長期休んでの疑似家族関係の、あくまで緩く意味を持たない日々の始まり。何日も不思議に経過して外へと、車で海に行く途中で少女は置いてかれ、不敵に学校に帰っての憤慨親友とのひと悶着もどきに苛められ少年の姿も、一方砂浜では2人並びから海に駆け出し少年が振り向くと車も人も消えるが·海中に呑み込まれた少年はカムバック、のパラレルワールドへ。
 強姦されベッドで背中見せてうつ伏せで少年の痛みを知る少女や、2人で妻のワンピースを洗濯自前乾く間着てると戻って「脱げ」と凄む教師に従うと見せてわけ分からぬ踊りを始める少年、彼が倒れたのを蹴りつけ、踊りを継ぐ少女。製造してる銃の可笑しさともろ危険さを真面目語りしてると、ラスト辺少女が親友に向け撃った銃からはカチャ音だけ。ら可笑しさすら狙ってないオチもナンセンスにも行き着かず漂い方だけが不可思議な磁力を放つ作。構図も縦の構図の大胆さと美を狙ってるよりは直截的で、R·アンダーソン的な美術と味わいの頂点など、目指してるは微塵もない。ぬるま湯かと思うと、絵からもストーリーからも離れた緊張感が張り詰めてるをどこかで受け取ってく。訳や動機の存在しないキャラの行動原理の理解不能も深いか浅いところでからか伝わりくるのか。
 本作の形式·テーマを発展·完成させた·印象でも表裏を成すような(ラスト迄)『草の響き』で、年間ベストワンを取って間無しに亡くなったは、相米と同じで、遅ればせもいいところだが、その作品群について脚光のより当たるべき、相米クラスに近い作家、と真に思い知る。
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