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ルート181
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『ルート181』に投稿された感想・評価

3.7
【イスラエル・パレスチナ問題を巡る旅】
動画レビュー▽
https://www.youtube.com/watch?v=5O6cTw8nyoc

アテネ・フランセで行われた「ドキュメンタリードリームショー -山形in東京2024」にてミシェル・クレイフィ&エイアル・シヴァンによる4時間半の超大作『ルート181』が上映された。本作は蓮實重彥「ショットとは何か 歴史編」巻末の年間ベストまとめにも掲載されている一本である。ミシェル・クレイフィといえば『ガリレアの婚礼』のイメージが強く、ドキュメンタリーを撮っていたことに驚かされ観てみた。

静止しているふたりをデジタルな動きでクローズアップする。周囲は動的であるのに、中心にいるふたりは静的である奇妙さについて考えさせる間もなく、『ルート181』のテーマを表現する特殊な画を構成していく。上下に分割した画を用意し、上には本作の背景がテロップで説明される。下には旅のルートが表示され両画面とも動く。テロップの終わりに、紙を破るようなアクションが入り、上下の境界が融和していく。

イスラエル/パレスチナの分断を巡る4時間半の旅において、明確な境界と曖昧な側面を意識させられる場面が反復される。車が走る際、フロントガラスに地図が映り込む。監督が引いた1947年にパレスティナを二分するために採択された国連決議181条で描かれた境界線《ルート181》と実際の境界、壁、自由に境界を越えていく戦闘機、アラブ人とユダヤ人の中にある複雑な心理、これらを意識させるための演出が最初のアレなのである。

映画は南部、中部、北部の3部構成となっており、それぞれで山場がある。

第1部では、ユダヤ人博物館員との論戦の緊迫感が印象的だ。「人の話を聞け!」と、反論させる暇も与えずにユダヤ人によるパレスチナへの扱いの正しさを豪語する。論の脆弱性を突こうものなら逆キレをする。彼ほどの温度感ではないものの、映画に出てくるユダヤ人の多くが監督からの質問に苛立ち、キレる、冷笑、開き直りをかますのだ。彼らの振る舞いのケースが集まってくると、「人を殺すのはダメだ」と分かってはいるがアラブ人が増えることによって自分たちの生活が脅かされるのではといった不安によるものが分かってくる。

第2部では『SHOAH』に対する批判が行われる。『SHOAH』ではホロコースト経験者による凄惨さが語られ、ユダヤ人に同情が集まる内容となっているが、その裏返しになっている。ホロコーストを知りながらもアラブ人に対する行為に対しては「何も感じない」と語る場面や散髪屋の場面にそれは現れている。そして何よりも、ユダヤ人兵士との対話が重要である。自分たちの状況をカフカの「審判」や「掟の門」にたとえ、デカルトをはじめとする哲学に興味があると語っているが、「イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」については知らないと語っている。

ここで監督は、ハンナ・アーレント《悪の陳腐さ》の俗説である「悪を犯す人は普通の人(哲学書を読んでいるような普通の人が戦争犯罪に手を染めてしまう)」理論でユダヤ人兵士に語り掛ける。今となっては、この説は批判の対象であるのだが、この場面においては極めて重要な役割を果たす。

1.自分たちの話にもかかわらずハンナ・アーレントを知らない
2.なんとなく自分の状況を理解しておきながら加害に手を染めてしまう様

後者は「悪の陳腐さ」が使いやすいバズワードかつ、それに該当する別の表現がないという問題から誤用されているのだが、『ルート181』全編通してユダヤ人が「じゃあ、どうしろと?社会がそうなのだがらそうならざる得ない」と開き直ってしまう様と当事者であり知識欲がありながら重要なことに目を背けてしまう様を同時に捉えるために必要なアクションだったといえる。

第3部では、それまで人と人とを結ぶ点の旅であったものがデモについていく線の旅へと変わっていく。不気味に聳え立つ壁、有刺鉄線から漂う暴力が表面化するように、抑圧する者とされる者の軋轢が捉えられ、そして悟ったかのように開き直るユダヤ人の姿が収められるのだ。

本作を観て、いくつか思ったことがある。まず、ひとつ目はパレスチナが「オリーヴとワインの土地ーバティールの丘:南エルサレムの文化的景観」を緊急的登録推薦で世界遺産へ登録させたことである。世界遺産は通常、数年~10年のプロジェクトで登録されるのだが、戦争や自然災害などで悠長に登録作業ができない場合に、緊急登録する仕組みがある。イスラエルが分離壁を敷こうとするのに対しバティールの丘を世界遺産登録することで、阻止しようとしたわけだが、世界遺産の原則として政治的な登録は忌避されるべきとしている。パレスチナは、正規の手順を踏まず緊急的登録推薦でゴリ押し登録するケースが多く、それを見たイスラエルとアメリカが怒りでユネスコを脱退した。『ルート181』を観ると、壁や有刺鉄線によってアラブ人を徐々に追い込んでいることが良く分かる。《線》による分割に対して《場》による防衛をしようとしていた。2014年の「バティールの丘」世界遺産登録の温度感がよくわかった。

また、本作を観ると前年に公開されたシャンタル・アケルマン『向こう側から』を連想する。こちらは9.11アメリカ同時多発テロ後のメキシコ移民の越境を中心に、家族と離れ離れになったメキシコ人や国境警備にあたるアメリカ人をインタビューしていく作品だ。こちらも境界線を辿りながらメキシコ人とアメリカ人の複雑な心理を紐解く作品となっており、境界、それを越えていく音が特徴的であった。
「共存は可能」と言うランニング中のユダヤ系の人の背後をひっきりなしに飛ぶ戦闘機が何度も映される。
青空からパンダウンして海が映されるのがファーストショットだが、「海に放り出す」という言葉も出てくるように、青空も海も開放感からはほど遠い。
「みんなが住む土地がある」と言われる、広々とした廃墟が点在する風景は、第一次中東戦争の結果だし、林も狙撃されたからと「ストリップ」される。

@アテネ・フランセ
ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京2024
flyone
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国連決議181号に定められたパレスチナとイスラエルの境界線(実際的にも地図の上にも存在しない線)を南から北へ辿ってゆくことにしたミシェル・クレイフィとエイアル・シヴァンは、その道中の風景や人々の営みをキャメラで捉えつつ、そこに住まう(あるいは住まわされる)ユダヤ人やアラブ人にインタビューする。
周到に配されたインタビュー場面において、多くのユダヤ人は、分断と排斥を正当化すべく声高かつ高圧的な主張を繰り返し、「最後まで話を聞け」と叫ぶ高齢の男性の存在にもかかわらず、監督らの問いかけにまともに応じることもない場面さえ見られる。対話の場にほかならぬはずの議会もまた、対話というよりは他者をいわば「論破」してやろうという暴力性の気配が濃密に漂う空間となっている。
張り巡らされた有刺鉄線や壁が分断と排斥をあからさまに可視化し、それはかつてのナチスの絶滅収容所のようだが、その歴史の反復に自覚的なインタビュイーはほとんど登場しない。