「自分だったら」という視点も持って観てみようと思ったが剥き出しに映し出される人間達をただただ目撃することしかできなかった。
隣の人が思わず一回「マジか…」と小さく漏らしてしまっていた(多分母親の異変の所だったと思う)
凄く美しかった花火のシーンと深夜に警察が来たことが分かるシーンが辛すぎる。
これを観てもっと早く医療に繋げていれば…と当然思うが何故それができなかったのかを自分の心に問う映画。
劇場には意外と二人で観に来ている人も多く、感想を話しながら帰っている姿を見て映画をいつも一人で観に行く自分もこれは誰かと観に行くのも良いかもなと少し思った。
この映画はどうしようもなく会話を誘発させるのだろう。
自分は大人になってから親に対して監督のように目と目を合わせてしっかりと対話することができないまま母は亡くなってしまった。
父親は離婚してから20年以上会っておらず特に会いたいとも思っていない。
気がついたら母は病気になっていてもう長く生きれないことになっていた。
心配だったし悲しいとは思っていたけれどどこか自分は受動的な態度だった。
訪問医療の方が来てくれて母は入院せずに最後の時間は家で過ごすことになったけれど自分はそこまで実家に帰らなかったし仕事や自分の時間を優先していたように思う。
帰る時も残り少ない母との時間を過ごしたいという気持ちよりも何となく後ろめたいから顔を見せに行くような心情であった。
最後の数ヵ月もっと話せば良かったという後悔もあるが親の老後の心配をしなくてホッとしている気持ちもかなりある。
この矛盾した感情はふとした時にやってくる。
境遇も全く違う人の人生の映画を観たことで勝手に自分の家族のことを振り返り少しだけ整理して考えることができた。
凄い映画だ。
この映画内でお父さんが「娘はある意味では幸せな人生だったのではないか」と言った時に息子である監督は怒りの感情もあったと思う。
娘を守りたいと考えた時に今よりもずっと統合失調症に対する差別や偏見が強かったことが娘を閉じ込めるという決断に繋がったのではと考えたが「姉の問題ではなくあなた達の問題だ」と母に話す監督の姿はもっと早く自分がなんとかできたのではないかという悔恨の念も感じた。
他の沢山の映画と同じようにエンドロールが流れるとすぐに帰る人がいて短いエンドロール後のシーンが見送っているようでぴったりだった。