コロンビア産のカメラ×銃の流行りを取り入れたウエスタン。
マカロニ・ウェスタンの活劇的オマージュに限らず、マカロニ・ウェスタンの盟主たちが遠いイタリアという地から革命の志を賛歌したり、内戦の傷への眼差すことで反戦を掲げたりしていたその、テーマ性も実はしっかりと踏襲し、コロンビアの歴史における千日戦争という内線の余波を省みているのが興味深い。
舞台は1902年11月2日、父を政府軍に殺された写真家と革命軍の生き残りの出会いから始まる。1902年6月には内戦保守党と自由党軍の和解によって鎮静化していたのにも関わらず、山ではゲリラ化した両軍が争い続けていた。
革命軍の生き残りである主人公(名前忘れた)は未だ戦場にいる兄を故郷に連れ帰るために、写真家は父を殺した男に復讐するために一緒に旅を始める。
オチから言えばその両者が探す人は同一人物で、三竦みの関係となり泥沼な状況に陥っていくという話で、やりたくて仕方なかっただろう『続夕陽のガンマン』のオマージュで決着が着く。
面白いのは、この作品独特のトリップ世界の演出。会場では笑いなんかも生まれてた異色な展開だが、そのモノクロ映像はこの映画の重要なモチーフたる白黒写真と連想される。
写真というモチーフはまさに内戦のゲリラ達や復讐に燃える男の「止まってしまった時間」を表していて、トリップ世界はまさに彼らの"その瞬間"に囚われてしまった姿を示している。決闘がその空間で行われることや将軍のセリフが決定的で、その「頭の中にしかない」復讐や終わらない戦争は、その頭の中で解決するのがよろしいという、一つの達観がそこにあるのだ。兄はどこかに消えていく。誰も死なないがどこかビターな終わりで、それでいて最後の写真を撮ろうという一言が、なんというかこの奇天烈で調子の可笑しい旅の最後に凄く相応しい気がした。
旅の道中、色んな変人や珍事が展開されて自分は振り落とされた側の人間である。人を増やす前にもっと主要3人組を掘り下げろよ!とか途中からタバコ占い師空気だったぞ!とか
穴だらけなのは間違いないし、爆音使ってカットを無理やり繋ぐのもやり過ぎとツッコミたくなるが、嫌いにはなれない作品。