KnightsofOdessa

失った時間のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

失った時間(2023年製作の映画)
4.5
[中国、"借り物の時間"と胡蝶の夢] 90点

大傑作。ツァイ・ジエ長編一作目。監督自身の出身地である広州を舞台に、言語や生活様式も似ているはずなのに近くて遠い特別な場所であり青春時代に多大なる影響を与えた香港との関係性を描いた作品。物語は結婚を間近に控えたティンが恋人の実家であるライチ農園で収穫をする場面で幕を開ける。低木で人間の腰から頭にかけて葉の生い茂るライチの木の隙間から見えるティンの横顔はどこか憂鬱そうだ(あの視界不良のロケーションは見渡せそうで見渡せないもどかしさもあり、同時に"ジャングル"でもあった)。実家に戻ったティンは、頑なに披露宴への出席を拒んで緩やかな自傷行為と現実逃避を重ねる母親を尻目に、20年前自分を捨てて出ていった父親を探しに香港へ旅立つ。また、荷物を整理していた際、大昔に当時の恋人?ユウセンから借りたままになっていた"Borrowed Time"というCDも発見する。英題でもあるこの"借り物の時間(=自分のものではない時間)"というのは登場人物たちの様々な時間へと当てはめられている。まず、香港に家庭があるのにティンの母親と付き合って子供を産ませた父親が最後の手紙に認めた暴言が"お前との10年は借り物の時間だった"というものである。ある意味でこの言葉以降の母親の時間は"借り物の時間"になってしまっただろうし、それを改めて知ったティンもそういう認識になったのではなかろうか。香港では父親を追っているはずが、突然ユウセンと再会して彼の家に上がり、夜の嵐をやり過ごし、彼との会話から遂にはジャングルへバクを探しに行く話になるという超展開を見せる。そういった展開は、悪夢を食べるというバクを探したい、或いは"借り物だった時間"を返したいという願望の見せた"夢"のようであり、表裏が入れ替わり続けるような、そしてどちらが表でどちらが裏か分からなくなるような感覚は、まさしく胡蝶の夢のようでもあった(それは広州と香港の関係性にも言えるのかもしれない)。事実ティンはユウセンに出会った際に気付かないまま落としていた"Borrowed Time"のCDを彼に返す。これは、香港の見せた幻影(ユウセン)に対して"借り物の時間"を送り返した、つまり吹っ切れたという意味なのだろうか。そこで思い出すのは実家でセーラームーンのTシャツを着ていたことか。母親が"父親が帰ってくるかもしれない"として20年間も鍵をドアマットの下に放置して、泥棒が入っても売らないというほど固執する実家で、ティン自身も子供のまま止まっていたのではないだろうか?(まぁ実家で中高時代の服着てるのはあるあるなので深読みしすぎというのはある)。そうなればあのラストは実に希望的に見えてくる。つまりは、ライチ農園への帰還である。

追記
監督が本作品の題名入りのTシャツを着て登壇していた。あまりにも気に入ったため、監督に"そのシャツ売ってませんか?"と尋ねたところ、"これは自分で作ったんだ、本国でも公開してないので…"と言われてしまった。若干引いてた。
あと、司会の人が適当に翻訳したせいで変な感じになってたけど、おそらくCDに開けられたカッピングの穴は廃棄用に開けられたもので、本来なら捨てられるはずのものを違法に回収して聴いていたから逃げてるシーンがあると思われる。つまり、あのCDを介した関係は想像以上に濃いはず。だからこそ、二人が音源を再生するシーンで音楽が掛からないのがまた良い。それは二人だけの音なのだ。
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