[アイン・ランドの書いた貧相なシェイクスピア] 10点
フランシス・フォード・コッポラ長編27作目。1977年から類似した企画を温め続け、1989年と2001年に製作まで試みて失敗し、ほぼ50年越しの企画が遂に生まれた…と思ったら批評家からボロカス言われ、配給してくれる会社も見つからず(宣伝費をコッポラ自身が払うことでライオンズゲートが貧乏クジを引いた)、予告編は過去作への批判的批評を捏造して即刻削除という外野のイベント盛り沢山な作品。もしかしたら100年後くらいには名作として語り継がれているかもしれない。偶然にも同じ時期に公開されたリドリー・スコット『グラディエーターII』も(昨年の映画だが日本公開が遅れた結果重なったナンニ・モレッティ『チネチッタで会いましょう』も含め)似たような"現状を憂う白人ジジイ監督による愚痴映画"だったわけで、加えて両者は堕落したアメリカ政治を腐敗したローマに例えている点まで似ているわけだが、少なくともハリウッド的なスペクタクルのあった同作に比べると本作品は"アイン・ランドの書いたシェイクスピア"と揶揄される通りの野暮ったい代物であった(『肩をすくめるアトラス』とかキツすぎて第1巻の序盤でやめた思い出)。物語の舞台は現代のニューヨークに似たニューローマと呼ばれる都市。キケロ市長によって財政は崩壊し、経済格差拡大によって人々は貧困にあえいでいるが、権力を牛耳る一部のエリート層は目もくれずに享楽の日々を送っていた。主人公はそんな市長と対立する建築家シーザー・カテリーナ、新建築素材メガロンを開発し、それを使って理想都市メガロポリスを創ろうとしていた云々。前評判通り、お金と時間をかけましたという宣伝のわりに、物語も人物造形も演技もVFXも見えるもの全てが貧相で悲しくなる。ソ連の衛星が落ちてくるなどの設定も企画初期段階から変えてないのかな?というくらい古臭い。登場人物たちも極端な設定の割に深みがないので、ただの珍獣博覧会という感じ。台詞も様々な引用やイデオロギーが上滑りしている上に説教臭くて全く響かない。悩める天才主人公を癒やすヒロインというのも古臭くて気持ち悪い上に、世界を救う天才主人公とか…やっぱコッポラはアイン・ランド大好きでしょ。未成年ポップスターをセックス動画が流出→年齢詐称で成人してたのでOKという流れも意味が分からない。しかも長い。ジジイの愚痴は長くてかなわんね。