超スーパー大傑作だと思いました。
山の映画、とはすなわち高さの空間、運動、時間、上下の表現
雨、滝、川は上から下に流れる
50年代パートの家の雨漏りのように人の生活は上から下へ流れる水の中で営まれる
過去パートの二人のロマンスは、上下のすれ違いで表現され、現代パートの少年の冒険が山を上ること、水を、時間を遡ることとして表現される
娘と山の民の逢瀬を上から下へ窃視する安田顕は、山の民の元へ坂を下るアクションから土下座のアクションへと移行する(この場面の枯れた川の道!)
水の循環はファーストショットの葉脈からも連想され、切り倒された木の切り株に差される枝が、木とは水を吸い上げながら下から上に緩やかに運動する存在だと思い出される
山とは、吸い上げた水の集合であり、降り積もる時間と、遡上する時間の集合である。
そのような円環する時間の中で生きる人々もまた、家族という血縁により、口伝される物語により、円環する。
ここに、例えば『悪は存在しない』にはなかったような山の映画がここにあると思う。
そのような映画的達成を実現した、この映画の川、雨、風、木、葉、家、器、縄、火、人、衣服、そういった一つ一つの画面に映り、音として聴こえてくる世界に感動いたしました。