ドキュメンタリーは嘘をつかない、真実である。こんなにおもしろいものは観たことがない。
嫉妬からかある者からは、あれはHelpありだと揶揄された青山真治だが、そう彼は多くの歴史のポジをネガへ反転し、もはやボーンデジタルの時ですら、ネガを想像し続けていた。それが映画を観たものの最低限の作法であるごとく。寄って(拠って)立つものは多くあった、中上健次ではなく、おそらくこのAA(撮影 たむらまさき)にこそ、その引き継ぐ対話の姿が一番色濃くあったのかも知れない。
トニー・スコット、ハリス・サヴィデス、の死、2012年から、青山真治の2022年までの10年間、こともあろうに2012~2020年の第2次安倍政権、そしてそのバカ死までと符号してしまうのは、この史上最大の空っぽの馬鹿犬死アベが、その頭の悪さでもって、やはりこうして政治的であるのかもしれない。
太田光は犬死に輪をかけて馬鹿である(一体誰がたけしの後釜などと?武自体が大したことではない)が、それを政治的テロではないのに、テロと政治的に呼び、仮に犯人がこれはテロであると明言したとしても、抵抗権(Right of Resistance)の名において、ある種正当性すらあるのだから、第十二条 自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。のなら、死刑を有する野蛮な国においては、なおさら、抵抗しなければならない、特に爆笑問題に。
時代の未明から来たるべきものけものたち