高山佑貴

ミュリエルの高山佑貴のレビュー・感想・評価

ミュリエル(1963年製作の映画)
3.9
すでに撮られたラッシュを映画文法を知らない人間が編集したかのように、また薄れていく人の記憶のように、「意識的」に作られた作品。
時間における前と後というものが一列にならんでいるのではなく、バラバラに空間=時間を飛び越える。
また、アラン・レネがこだわり続ける、というよりもさいなまされている、記憶にとりつかれる事、というモチーフもここで見られる。ミュリエルに会う事、昔の恋人を呼んでしまう事、見たくない手紙を破ってしまう事、過去の思い出を語ってしまう事。そしてそれにより突き動かされる事。記憶と記録。記憶はあの燃えてしまったフィルムのように儚く、同時に強烈である。あの兵士たちのフィルムのようにボロボロになりながらも存在し続ける。録音した笑い声からある感情が襲ってくる。
いつも私たちはこの映画のように記憶を、映画を思い出していないか。
試みとして。