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日曜日には鼠を殺せの砂場のレビュー・感想・評価

日曜日には鼠を殺せ(1964年製作の映画)
4.2
地味ながら好きなジンネマン作品。フランコ独裁時代の悲劇、本作は失敗作と言われているが見どころはあると思う。まずはあらすじから

ーーーあらすじーーー
■スペインを二分する内戦、共和国人民軍に対するフランコの反乱軍が勝利。人民軍側は敗走しフランスに亡命したものも多かった。
■フランス国境、亡命者たちは武器を没収されフランスに入った。一人の男(グレゴリー・ペック)はスペインに
戻って戦いを続けようとするが仲間に止められる
■20年後、1959年フランコ独裁政権下のスペイン。男に連れられた男の子。父を警察に殺された。
歩いてフランス国境を渡る。かつての闘士マヌエルに会うためだ。小さな集落に亡命したスペイン人が住んでいた
パコ少年は集落を訪ね、マヌエルの住む街を聞きバスで向かう。広場で少年たちがサッカーをしている。
パコはマヌエルの居所を聞くと、あんなやつ強盗だと言われる。
■マヌエルに会えた。父の仇を打って欲しい、警察のヴィニョラス署長を殺して欲しいと頼むがすっかり病で
弱っていたマヌエルは相手にせず追い返した。
■署長(アンソニー・クイン)は馬を賄賂でもらったり、愛人がいた。愛人宅に警察から緊急連絡だと妻が電話をかけてきた。
マヌエルの母が危篤だという。署長はマヌエルをスペインに呼び戻す罠として利用しようと考えた
■友人のカルロスから母が危篤の知らせを聞く。しかしスペインに戻れば間違いなく処刑。
パコ少年を呼び、病院の見取り図を聞く
■母はフランシスコ神父(オマー・シャリフ)に息子には来るなと伝えて欲しいといい息を引き取った。署長はマヌエルには
まだ危篤と伝えろというが神父は嘘は言えないと断る。
神父はルルドへの巡礼に出る予定であったが、マヌエルに母が死んでおり絶対に戻らないように書いた手紙をポストに入れようとするがルルド行きの電車が出てしまったので歩きでマヌエルに渡しに行く。
マヌエルが留守で少年が受け取るが、カトリック教会はフランコ側についていたため少年は信用しないで手紙をトイレに流してしまう。スペインに戻る決意を決めたマヌエル。サッカーボールを少年にプレゼントする。
■少年はしゃっくりをしたらカルロスの顔を思い出した。父を殺した署長と一緒にいた男だ。カルロスのことをマヌエルに告げるが信用されない。神父もルルドに向かってしまった。
■マヌエルはルルドに向かい神父と出会い、家に連れてくる。神父はあなたの母は亡くなっている、スペインには決して
こないようにという伝言を伝えた。しかし共産主義者であり無神論者のマヌエルは神父の言うことを信用しない。そこにカルロスが来た。
■彼は神父がいることに驚き逃げた。これで神父が正しかったとわかったマヌエルは酒を勧める。出身地を聞くと同郷であった。神父の父は兵士に殺されていた。どっち側の兵かはわからなかったがこの事件をきっかけに神父になった。

<💢以下ネタバレあり💢>
■カルロスは罠だと分かっているが意を決してスペインに向かう。サッカーボールを窓から落とすと夜の路地を転がっていった。
国境付近の集落で武器を掘り出す。トラックでスペインに入国し病院の近くの家の屋上から所長の家を標的に。
すると署長の家にはカルロスがおり、撃ち殺した。激しい銃撃戦となるがマヌエルは死亡。
母の遺体の隣に安置された。署長は政敵を倒しましたねおめでとうという記者のインタビューに対し、あれはただの銀行強盗ですと答える。
神父は窓からマヌエルの遺体が運び出されるのを見て涙を流している。
ーーーあらすじおわりーーー


🎥🎥🎥
スペイン内戦の歴史を踏まえないと少しわかりにくいところがある。ロバート・キャパの崩れ落ちる兵士の写真で有名な1936年の内戦。左派の人民政府に対し、ドイツ、イタリアの支援を受けたフランコのファシズム政党が勝利した。
人民政府側は多くの人がフランスに逃げた。
人民政府側は共産主義であり、宗教を禁止していたためカトリック教会はフランコ側についた。フランコ独裁政権は1977年の死まで続いた。

広陵たるフランスとスペインの国境付近の山岳地帯やマヌエルが隠れ住む街などジンネマンのモノクロ映像が美しくも陰鬱である。

本作は興行収入がいまいちで、配役がかぶっている2年前に公開された大作『アラビアのロレンス』と比較されてやや日陰ものの失敗作扱いだったようだが個人的にはいい映画だと思う。
不人気だった理由の一つには、視点がはっきりしない点があるだろう。

冒頭の印象的な少年と牛のカット、”僕の名前はパコ・ダゲス”という一人称の語りで始まる。この導入によって観客はああ、これは無垢な少年の目から見た悲惨な戦争物語だと脳内で鑑賞態度を決める。
また少年がしゃっくりするとスパイの顔を思い出したりして、少年ものの映画のテイストが溢れている。
しかしジンネマンはこの少年の一人称の視点を放棄してしまい、後半はマヌエルの視点に切り替わる。
もちろん冒頭の一人称を最後まで続けなければいけない決まりはなく視点の切り替わりは全然アリなのだが、ジンネマンの切り替えがスムーズとは言い難く、最後もマヌエルと少年の和解などの場面もなくブッツリ切れた形だ。

スペイン内戦はただでさえアメリカ人の客は感情移入しにくいと思う。マヌエルは独裁者フランコに楯突く反ファシズムの闘士であるが、
同時に共産主義者の無神論者であるのでアメリカ人には受け入れにくいキャラだ。
このような場合に絶対的な無垢さを持つ子供の視点は好都合であるのだが、ジンネマン自身がこの装置を放棄してしまうのだ。

後半のマヌエルの視点。反ファシズムの闘士であり、同時に粗暴で銀行強盗を働いたりする。共産主義者で無神論者。
彼はフランシスコ神父の真摯な信仰の力に徐々に心を開く。
二人が酒を酌み交わす場面は本作で一番ホッとするところだ。

この映画で最も良心的な人物がフランシスコ神父だ。しかし彼も辛い過去を持っている。彼の父は中立を主張していたのだが殺された。マヌエルがどっち陣営に殺されたのか?と聞くが、犯人グループの正体は不明だった。
神父はいう、父は中立を守っていたが殺された、どっちの陣営もどこに違いがあるのか?
父の死は彼が神父になった動機であった。
彼の絶望はキリスト教ですら中立的な立場ではなかったことだ。教会がフランコ政権側についたからである

子供の視点という中立な視点を放棄したことにより、中立なんてあり得ないという現実が映画の中で浮き彫りになる
結果論かもしれないが、マヌエルの視点で物語を進めたのはスペイン内戦の悲惨さをよく表現できたのではないか

マヌエルがサッカーボールを窓から落とす場面は美しい、ボールは路地を画面奥に向かって転がってゆく。
最後に一瞬ボールで遊ぶ少年が映る。この救いの無い物語の中で唯一希望が持てる場面だ
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