どうすればよかったか?という問いかけは中立的に選択肢を問うものではなく、こうでないやり方もあったはずである、、、という気持ちが込められている。30年近くも家族をケアしてきた監督が中立的であるわけがない。親への怒り、自分への怒りがぐつぐつとしている。でもそれはとても繊細で複雑だ。「育ててくれたことには」感謝する、という言い方からも複雑な感情はある。20年の間監督は映像に映っている以外でも親とのコミュニケーションは数え切れないくらい試みてきたと思う。
でも、映像に出てくるのは監督&母、監督&父という二人の対話であり、3人で相談する場面はとても少ない。両親はインテリであり対話不能な人ではないし、監督も親には物申すことができているのだが見えないバリアというかがんじがらめの圧のようなものに相互に縛られている。
20年間の中で母は世間から娘を隠すように閉じ込めた。
この一家の中では時間が止まっているようである、両親はもう40過ぎて日常生活がやっとの娘のことを医学部を出て国家試験を受けるの受けないのと議論している、昔受診した精神科医の特に病気ではないという言葉に縋る。
一方で驚くのは両親の肉体的老いの早さ。娘に対する時は止まったままであるが肉体的には急激に老化する。世間の人以上かもしれない
あることがきっかけで精神科を受診、薬が合ったのか症状が寛解する。
監督がカメラで夜景を撮る姉に対し、フラッシュを使ったほうがいいよという、僕は見ていて伝わってくれと祈るように見ていたらしっかり伝わっていた。この場面でやっとほっとできた
父は何をしてきたのか、母は何をしてきたのか、そして自分は、、、
医者であり研究者である父は、娘の葬儀でもいまだに共同で論文を書いている途中にいる。娘との共著を夢見る。棺に書きかけの論文を収めるのだが、僕には異様に映った。この30年時間が止まってしまっているのだろう
監督は90過ぎて老いた親に詰め寄る、もっと早く医者に見せられなかったのか、その心の中はなんだ。父は間違っていないといい、映画はカット、カットという声と共にブツっと切れる。ここに感じたのは怒りだ。それも当事者家族でしか感じられない怒り。30年近く記録者に徹していて、外部に開示せずにひたすら記録と対話を繰り返してきた監督。言葉はいつも柔らかく家族といえども労い、大声を出す場面もない。しかし最後の最後で感情が爆発した。というか爆発を見せないようにカットした。カットという声をふつうであれば収録はしない。
監督自身もっと早く医療にアクセスすればという思いもあっただろう、しかし一方でものの本によると過剰医療による多剤大量投与、先進国比較ダントツで高い平均在院日数など日本の精神医療自体が持つ歪みも業界内部から指摘されるところである。この映画で書かれるように家族の隠蔽による過小医療と、逆に過度に医療を頼ることによる過剰医療の両極に引き裂かれているのが現状だとしたら救いがない。
ただ監督は精神医療の専門家ではないが家族としてなんとか対話をし、姉のことを気にかけてきたことで彼女は寛解し、カメラのフラッシュの件などでも会話が通じるようになった。
カット、カットという怒りの映像ぶちぎり、では終わらずに最後は姉のピースサインであった。これは小さいけども希望を持てる終わり方だ