垂直落下式サミング

星を追う子どもの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

星を追う子ども(2011年製作の映画)
4.0
ラジオ好きの少女が、不思議な雰囲気をまとった少年に出会い、幻の地下世界アガルタをめぐる陰謀に巻き込まれていく。そんな異世界冒険映画。
主人公のアスナちゃんには、ほとんど主体性がない。内面がよくわかんないから、不思議な少年と恋に落ちる過程みたいなのが唐突に思える。
ピュアな少女の仕草をみせておいて、トンボの後尾をカットインして春の目覚めを示唆みたいな、ちょっと下世話なことをあっけらかんとやっているあたり、流石だなあと、感心。
イケメンをナンパした女子高生が過酷な旅に巻き込まれていく『すずめの戸締まり』にいたっては、女の子の恋心の動きを描くことを投げていたけれど、本作でもぜんぜん描けてなくて安心した。流石だ、キラキラ童貞総大将。彼こそが俺たちの新海。
山の上でラジオ聴いてるギーグ趣味女子かあ。いいなあ~。すき。そんで、ひとりで秘密基地作る系。家庭や学校では、鉤括弧つきの「いいこ」ではあるんだけど、自分の居場所がないから、ひとりになれるところが好きなんだろうな。都会だったら引きこもれるのにね。田舎って、村中がどこの誰だって知ってるから、いいこであるほど途中からは引きこもれなくなっちゃうんすよ。辛いね。
新海作品でよくテーマとなるのは、発信と受信と対話の可能性。今回のモチーフは、手紙やメールではなくてラジオってのが、いい具合にメンヘラ。セカイは必ずしも双方向ではない。遠くの誰かの声を受け取るけれど、自分の思いを渡す相手はいない。彼女はそういう状態であると。だからこそ、歌声の主に惹かれてしまうのだと。幼くして、残酷なまでに現実を知っている。それでも、ここではない、どこか遠い違う場所へ行くことを望んでしまう。現代的な病み。
新海的な男のリビドーを象徴するのは、新しい教師としてやってくる森崎先生。世界を裏切って、理をねじまげてでも、先立った妻にもう一度会いたいという思いを秘める。
黄泉比良坂の物語の一番の無理難題は、振り返るなというルール。毎日振り返ってるから、会いたくなっちゃうんだから絶対無理なんじゃん。でも、どうしても…もう一目だけでも、こういう男のメンヘラキャラに弱い。「運命のヒトを待っている」新海誠的なキャラクターなので、強く感情移入できる。
主人公の内面がよくわかんないので、目的をもって行動している彼がほとんど主役といってもいい。当方、禁煙中なので、長い旅のあいだ彼のタバコがいつなくなるのか、そればっかり気にしてしまった。
そんなに悪い映画じゃないと思うが、どうにも評価が振るわないのは、異世界ファンタジーでジェネリック駿な既視感が邪魔をするから。キャラクターの顔までジブリっぽいもんな。美少女の顔は、丸みのある鼻が上に向いていて、鼻の下とくちびるのあいだがちょっと長くて、そんで目もアサリの貝殻のようなかたち。
見せ場のたびに全盛期ジブリの影がみえる。みなに受け入れられる国民的アニメ映画を目指すことと、宮崎駿的であることがイコールでつながるほどの影響力に恐れおののく。
青い鳥文庫みたいな児童向け冒険絵巻みたいで、僕は好きでしたけどね。新海らしい絵のタッチでキャラクターを統一してくれたら印象は変わったかも。やっぱ、作家性とエンタメ性が高度に合致していた『君の名は。』ってスゴかったんだなぁ。