このレビューはネタバレを含みます
ルイス・ブニュエル監督作。
メキシコのスラム街で固い信仰を貫く神父の姿を描いたドラマ。
『哀しみのトリスターナ』(70)の原作者でもあるベニト=ぺレス・ガルドスの小説をメキシコ時代のルイス・ブニュエルが映像化したストイックな信仰ドラマで、現代のキリストにも見える一人の神父の信仰を巡る彷徨を描いています。
メキシコのスラム街で貧しい人々と共に生きるナサリオ神父を主人公にして、殺人を犯した娼婦を自宅に匿ったことを発端に様々な試練に遭ってゆく主人公の苦難の道のりを描いたもの。ブニュエルの生涯を通じた基本スタンスがキリスト教批判であることは周知の事実ですが、本作の場合、信仰を貫き通す神父に対して批判的ではなく、むしろ悲劇的に描いている点が異色となっています。神父は正しく“信仰の人”で、生活に困っている人や助けを求めている人を見ると放っておくことができず、深い寛容の心で人々に寄り添います。ただ、そうした神父の“正しい行い”が必ず裏目に出てしまう結果となり、匿った女には自宅を放火されてしまいますし、ペストが流行した村を救おうとしても邪魔者扱いされてしまう始末。神父の行動は、間違いなく神への信仰に基づいた聖なるものですが、結果的には人々を救うことができないのです。
聖職者としての使命を果たしたいだけなのに、それが全く上手く行かない上に身に覚えのない嫌疑をかけられ神父の資格すら剥奪されてしまった主人公は、祭服を捨てて巡礼の旅に出ます。しかし、それでもやはり彼を待ち受けるのは苦難ばかり。信仰とそれに基づく行動は紛れもない本物でも、なぜか人々に受け入れてもらえないという悲劇、無力感。教会からも見放され、それでも信仰を捨てない主人公が行き着く先は――。
いくつもの映画でキリスト教を暗に、もしくはストレートに批判してきたルイス・ブニュエルが、メキシコ時代後期に撮った異色の信仰ドラマ。清貧と慈愛に溢れながらも手痛いしっぺ返しを喰らう神父の姿には、ブニュエルらしいキリスト教批判の精神は影を潜め、むしろ同情的、悲劇的な眼差しが向けられています。その一方で、ローマ・カトリック教会の体質については明白に糾弾しており、教会が聖職者に求める画一的な信仰から逸れた者に対する、不寛容な処遇が冷たく描写されています。ブニュエルは、固い信仰を貫く聖職者個人を批判したいのではなく、真に正しい者を信仰の枠に閉じ込めようとするカトリック教会の偽善的、閉塞的体質に批判の眼を向けていることが分かります。