ナサリンの作品情報・感想・評価

「ナサリン」に投稿された感想・評価

R

Rの感想・評価

4.5
久々に3回目見て、翌日4回目見ました。2回連続で観るといろいろハッキリするので面白いね。本作にはブニュエルのクリスチャニティに対する懐疑的な面が出てはいるけど、それ以上にかなり色濃くヒューマニズムが強調されてた。主人公はメキシコの貧民街に暮らすナサリオ神父。彼は自分が最低限生きてける分だけ消費し、それ以外は全て貧民や障害者に施すという模範的クリスチャン。ある夜、従姉妹を殺めてしまったから匿ってくれとすがってきた厚化粧で怪物のように醜い売春婦アンダラを、言われた通りそこそこ長い間匿ってやるのだが、そのことが教会に知れて聖職権を剥奪され、流浪の旅人となる。その頃には売春婦はすっかり改心し、気の強い素直な信心深いおばさんになっていた。で、ナサリオ神父さん、人が良すぎていろんな人にいろんなものを取られながら放浪してるねんけど、旅の途中で、美人で敬虔なベアトリスと改心したアンダラが彼に加わることに。そこから彼らの信仰心が試される出来事に遭遇していく…という流れで、いかなる宗教であっても必ずある程度は問題となる、奇跡と受難がメインテーマとなっている。すごい幸運なことが起こると人間の信仰心はるんるんで強まり、ネガティブな状態を打破できない状況が延々と続いてしまったとき信仰心は猜疑心に変わってしまうものだ。ナサリオ神父は、運命に流されるまま、おそらくはそれが神の意思であると信じて、抵抗することなく、感情的になることなく、まさにlet it beに進んでいくのだが、そうこうしてると、どんどん物事が不如意な方向に転じていく。要は受難的感じになっていくんやけど、待てよ、これって宗教的な受難と呼ぶべき状況なのか?という疑問がだんだん湧いてくる。少なくとも、大いなる難に遭った世界的な宗教者たちは、みな、世界を変えたいという願望を燃やし、他者に社会に働きかけていった人たちである。流れのままに生きてたらロクなことになりませんでしたってのは、主体的な人生を生きることをしなかった人なら、信仰心なるなしに関わらず、誰にでも当てはまることだ。なので、この神父は、神父でありながら、一般人と大差がないということになる。すべてあるがままに、という思想のために、忍耐力がすこし強かっただけだ。それが、どういう末路を辿っていくか。これは話として非常に面白い。ベアトリスに関しては、愛する男にただ従順で、好き放題振り回されてきた過去があり、これも周りの状況に心が隷属していることのひとつの表れである。その後彼女の心を引っぱるのがたまたま神父さんになっただけ、神父さんとしては引っぱるつもりもないままに笑。なのでこちらも大変に興味深いエンディングを迎えます。で、3人の中でいちばん面白いのがアンダラ。この人は、自分の過去の罪に追われてはいるが、他のふたりとは違って、自分が信仰を通していい方向に変わった確かな経験があるためか、自分が信じるものを固持し、邪魔するやつは何とかして撃退しよう、という気持ちがある。そして、強く愛を求め、嫉妬し、敵を憎む、という風に自分の中から自然に湧き上がってくる感情に素直であり、それをはっきりと自分で処理できている。それは本作のなかで非常に生き生きとしたエネルギーの発露として描かれていて、どうしようもないけど、どこまでもヒューマン。それに比べて、他の二人の輝きを失ってモヤモヤした感じは、見ててつらいものがある。ラストシーンのあの逡巡、あの表情に、ヒューマニズムを否定し運命に盲従するクリスチャニティの呪いを見ることができる。でもその二人をただ切り捨てるのではなく、人間としての彼らに同情的に心を寄せてる感じが、何とも言えない感慨をもたらします。そして、もうひとり、非常にいきいきと魅力的に描かれるキャラクターが出てくるんやけど、そいつ見た目は何とも不細工なのだが、アンダラ同様、内からわき出るヒューマニズムの魅力に胸打たれるのですね。ブニュエルが、神ではなく、泥くさい人間の輝きをみごとな悲劇の中に描き出して見せた名作でしたね。
CHEBUNBUN

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3.5
【敬虔は辛いよ】
『田舎司祭の日記』『悪魔の陽の下に』に並ぶ、「敬虔過ぎて人生ハードモード系映画」の代表作。ルイス・ブニュエルの意地悪さが全開となっている。

巡礼の神父に待ち受ける災難がハードだ。人生の淵に立つ女に手を差し伸べたら、放火魔に化ける。奇蹟と医学の分別がついており、祈りだけで人々が救われる訳ではないことを知っている故、村人から病気の子を奇蹟で救い給えと言い寄られる。挙げ句の果てにムショにぶち込まれ、「お前は異端者だ」と投げ捨てられる。

ブニュエルにとって、宗教はデタラメなものだということが強烈に分かる。敬虔であろうとすると、周りとの軋轢を生む。他者が信じている宗教は結局表面的なものだということを物語る。しかし、ブニュエルはひと匙の敬虔さは人生に希望を与えるとも語っている。

本作はピリッと辛い普遍的皮肉が込められており、今観ても面白い作品だ。
K2

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3.8
いいように扱われたり無理解によって無下にされる神父の信仰心。

神に対して誠実な男に対して残酷に降りかかる面倒の数々。

一見単調でクソ退屈かと思いきや根底にはシンプルでしっかりとしたスルメ要素があり信仰と人生を併せて考えるほどに味わい深い。

感化されて付いてくるようになる女の信仰が一言でいともたやすく打ち砕かれるシーンがとても印象的。
キリスト教の教えを敬虔に実践している人が異端と呼ばれる皮肉。

タマル売りのおじさんの声がよい。
マ

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3.6
リアリズムのブニュエル。『ビリディアナ』の主人公を男に変えたようなストーリーで、ひたすら神父の男が酷い目にあう。ロードムービーっぽくもある。
ひどく重苦しい雰囲気でブニュエルっぽいユーモアはほとんど感じられないが、神父についていく女の脆い信仰心を打ち砕かれる様はかなり痛々しい。教養を持たない者にとって、神様を信仰する事はその人の存在意義に関わる事なんだと思い知らされるし(そのためには自分の性的欲求も否定せざるを得ない)、その残酷さを生々しく描いている。神父のラストの表情もこのシーンにはこれしかないでしょ!って感じの素晴らしい演技で、『忘れられた人々』ほどでは無いけど満足度は高かった。
pika

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5.0
すんげぇ映画。
考えれば考えるほど深いしキリスト教とは信仰とは、とシーンひとつひとつがどれを取ってもむちゃくちゃ考えさせられる金太郎飴的な側面もありつつ全体的なバランスやキャラクター、展開の流れなど完璧な面白さ。

キリスト教カトリックのナサリオ神父は施すものが尽きるまで服も靴も今日の食べ物すら求める者に与え、イエスキリストの教えを徹底する敬虔さで他人を愛し助け敬い・・・まさに聖人だろというべき信仰心であるのに異端と言われたり教会の恥だと言われたり逮捕されたりと一般的なキリスト教徒から罪人と扱われてしまう皮肉。
そんな神父を敬い付いていく女2人の対比も深くて面白いし、神父が貫いた信仰の末迎えるラストがもう何とも言えない!

キリスト教イエズス会の神学校に通わされ、後年無宗教であることを神に感謝したブニュエルだからこそ描けるキリスト教や信仰の信心と皮肉が強烈で、一見真逆な価値観を観客の見る目によってどうとでも受け取れるという、具材がそれぞれ引き立つ濃厚凝縮スープのようなブニュエルの真骨頂がハンパなく凄い!!

見る度に新しい発見がありそうな傑作!!





タルコフスキーのオールタイムベスト上位三作品を見てみると
1.田舎司祭の日記(ブレッソン)
2.冬の光(ベルイマン)
3.ナサリン(ブニュエル)
全てキリスト教神父がキリスト教徒達を助けようとし触れ合う中で、自身の信仰心に疑念が生じて苦悩する物語だ。
タルコフスキーは死ぬまで敬虔なキリスト教徒だったと言うことや信仰とは哲学のひとつであることから、生きるとは何かを突き詰め人々の魂を救済するものとして芸術に至り、信仰と哲学と芸術を咀嚼し高め人々の心に訴えかける作品を作り続けたのではないか。
この三作品の主人公達のように虐げられ万人に認めてもらえない中で、金銭面や生活、社会的な地位というような自分自身を守ることをせず犠牲にしても諦めず、理解者は僅かな人々にでも今ではなく未来でも構わぬとこの世界に価値あるものを遺そうと目指したのではないか。
タルコフスキー日記や知人のインタビューなどに触れると尊大な自信家という印象もあったりする反面、万人に迎合する作品を作ろうと思えば容易に可能だったであろう映画製作の手腕を、安易な方向に用いず自身の芸術性や哲学に則り貫き通した生き様や覚悟が血が滲むように現れていて、だからこそ比類なき価値のある作品を生み出したのではないか。
至高の芸術や哲学を生み出す者は多くの人に受け入れてもらえにくい面がある、その苦悩や生きづらさをこの三作品の主人公に投影し励まされていたのではないか。

などとずらずら勝手な解釈を書いてしまい申し訳ありません。私よりも熱心なファンの方はたっくさんいらっしゃるし怒られそう。
この映画について関係ないことまで書いてるしごめんなさい。

このレビューはネタバレを含みます

信仰することへの皮肉とか、施しをする者が施しを受ける側に落ちて行く不条理とか。聖職者が自分の行いに懐疑的になり、若く美しく信仰深い娘が世俗的になるなか、娼婦だけが信仰心を強くするというのがブニュエルらしい。
キリスト教的背景を知らなくても観れるが、すこし退屈。
『ナサリンはわたしにとてもよく似ている … 』(ルイス・ブニュエル)
自己韜晦の映画作家、ルイス・ブニュエルの「きわめて個人的な作品」であり、「ナサリン」を理解することが、ルイス・ブニュエル読解の鍵を見つけることになります。原作者であるスペインのベニート・ペレス・ガルドスは、「影響を受けたただ一人の作家」であると、ブニュエル自身が述べています。後年1970年に「トリスターナ(邦題:哀しみの…)」が映画化されましたが、いずれも翻訳が見つからないため、ガルドスの小説を「ナサリン」解釈の参考にすることはできませんでした。
神父ドン・ナサリオとは何者なのでしょうか?
1.マドリッド生まれのカトリック司祭(ブニュエルも14歳までイエズス会の中学校で厳格な宗教的教育を受けています)。
2.メキシコに赴き宣教を行なう―「北から送られて来た妙な宣教師の一人」(ブニュエルは1946年にメキシコへ渡り、1949帰化、1983年死ぬまでこの地に留まる)
3.信仰の懐疑に悩める受難者なのか?『(教会荒らしとの対話)神父の生き方は何の役に立つのか、あなたは善の側で、俺は悪の側で、どちらも何の役にも立たない。』
4.改悛した狂人、愚かな道化、または聖職者になったドン・キ・ホーテなのか?
5.聖職に忠実な聖者なのか?破戒者なのか? 異端者なのか?
6.信仰を喪失したカトリシズムの批判者なのか?

それでは、ルイス・ブニュエルとは何者なのでしょうか?
1.シュールレアリストなのか?自然主義者なのか?
2.無政府主義者なのか?共産主義者なのか?反教権主義者なのか?
3.性的倒錯者(足フェチ)なのか?
4.無神論者なのか?『わたしが無神論者であるのは、神のおかげである。』
そして、最大の「鍵」はラストシーンにあります。様々な解釈がなされているようですが、ブニュエルの故郷カランダの太鼓の連打に、私たちが心の深淵で何を感じるのか、そして受容されたその響きの意味を捉えることが、私たちそれぞれの証しとなります。
『(ナサリン)は、こんな悲劇的な経験のあとで一体どうなるのか? それはわからない… 』ルイス・ブニュエル