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ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォーのSPNminacoのレビュー・感想・評価

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ヌーヴェルヴァーグの誕生と連帯、その終わり。若きトリュフォーとゴダールの映像や肉声、当時の資料で反響をダイレクトに知れてとても新鮮だった。出会った頃の2ショットとか、シャブロルやロメール、ヴァルダやドュミらも合わせての親交が瑞々しい。『勝手にしやがれ』がトリュフォーの原案だったことも知らなかった。それぞれの映画には共通するモチーフや俳優も多く、並べてみると『勝手にしやがれ』と『大人は判ってくれない』のラストはそっくりだ。
良家の恵まれた環境でスカしたゴダール、パリの貧しく孤独な環境から貪欲に映画を吸収したトリュフォーは対照的。だが、シネフィルとして批評家として、そして映画作家として同じビジョンを共有する。映画を「若者の芸術」に変えた新しい“波”は、一人では起こせなかった。けれど、2人は5月革命を境に袂を分かつ。その物語もまたシネマティック。間に挟まれたジャン=ピエール・レオがとても不憫。
ドキュメンタリーはヌーヴェルヴァーグの始まりと終わりを、どちらもアントワーヌ・ドワネルのショットで象徴する。ドワネル/レオこそが2人の父親の下に生まれた子供、若さと反抗と芸術的イノセントのアイコンだった。彼のオーディション・フィルムにはその自由で純粋な季節が永遠に刻まれている。
「絵画や彫刻は芸術そのもの、映画は芸術と人生を近づける」というゴダールの言葉は的を射てる気がした。そして意味深に挟まれたイジルド・ル・ベスコの顔。
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