垂直落下式サミング

プラトーンの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

プラトーン(1986年製作の映画)
5.0
両手をあげて「プラトーンっ!」といって膝をつく飲み会一発ギャグおじさんが、今年定年退職した。お歳で膝を悪くしてらしたうえコロナ禍もかさなって、最近は座敷席のあるところを予約しても、プラトーン芸はとんと見ることはなくなっていたのだが、先日ついにお別れ会が催されたので、そこで最後のプラトーンが披露されたのだった。
普段だったら、お酒入ってなきゃみてらんないような内輪ノリなのに、40年間ものあいだ社会に揉まれてプラトってきた男の背中をみていると、彼のこれまでの艱難辛苦に想い至ってしまい、アツい感情が込み上げてきたのでした。
40年前ってことは、ちょうどプラトーンが日本公開されてヒットしてた頃に、働き盛りの若手社員だったわけね。元暴走族の経歴が足を引っ張ってバブルに足蹴にされた苦労人らしいから、人一倍頑張ってきたんでしょう。そんで、必死にひょうきんもの演じて、行き着いた先がプラトーンって…。泣ける。
若い奴らはなんのこっちゃわかってなかったけど、なんかプラトーンって言葉の響きが面白いから、僕らがコマネチは体操選手だって知らないのにたけしのギャグを面白がってたのと同じ感覚でクスクスしてたし、満足だったんじゃないかな。
Z世代たち。その気のよさそうなオッチャンは、当時の不良雑誌に顔写真が載ったことあるド級チンピラだったんだぞ。人ってわかんないよなっ。
さて、天を仰いで両手をあげて膝をつき倒れるこのシーン。プラトーンと言えばこのイメージみたいな扱いで、パッケージアートにもなっているウィレム・デフォーの死に様。あまりにも有名なシーンではあるけれど、さんざん勇ましいことを言いながら正義感で頑張っていたのに、仲間に置き去りにされて死んじゃうのだから、けっこう悲劇的な末路である。
名作とされる『地獄の黙示録』『ディアハンター』『フルメタル・ジャケット』『ランボー』の戦闘や心情描写は、ディティールがリアルとは言えるかもしれないけれど、一応は戦争行為を経験したことによって狂っていく個人のはなしを描いている。そこには、まだ大なり小なり人間的な意思の力が働いている状態なのだ。
しかしながら、この『プラトーン』では、兵士各々の人間的な内面だとか、バトルをどう見せるかではない。個々人の意思なんかじゃあ、どうにもなんない軍隊という組織。ひいてはいつどんな理不尽が舞い込むかわからない戦場。そういうこの世の地獄が描かれている。
いざ動けと、モノ化された人間たち。戦争という公共事業に参加したら最後、なす統べなく狂っていくしかない下っ端は、まったくもって本当にとるに足らないような扱いで、無意味ともいえるような理不尽のなか、良いやつも悪いやつも平等に使い捨てられていくということを、ハッキリとみせてしまった。
両手をあげてプラトーンは、エリアスとバーンズの関係の険悪化の末。ふたりのアメリカ兵同士の争いが決着のつけどころを見失って、善も悪も何もみえなくなっている様子は、彼らはいったいなにと戦っているのかと、ベトナム戦争の本質的なところをついている。
「戦争」などと規模を大きくしなくとも、要するにこれは「殺人」であるとミクロな視点の定義付けによって、誰かが誰かを憎んで殺すという、僕らの先祖がウガウガ原始人の頃から繰り返している行為そのものの不毛を説いているのではないかな。棍棒からナパーム弾へ。そっから先がないことを祈る。はたして、人間性の限界はどこにあるのか。
このフロントラインのリアリズムを映画に持ち込んだのは、実際のベトナム帰還兵のオリヴァー・ストーン監督だというのだから、そりゃあ当事者が言うのならそうなんだろう。確信をもって、その経験知を信じるしかないのである。