アカウント変えます

ゴッドファーザーのアカウント変えますのネタバレレビュー・内容・結末

ゴッドファーザー(1972年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます



どこからつっこんでいいのやら...

忘れないうちに、評価できる点から記述しておきたい。出演者の大半はアメリカ人であっただろうけど、ライティングの素晴らしさでシチリア系の雰囲気が出ていてとてもよかった。光の入り方で言えば、特に葬儀のシーン。丘があって、丘の上には花が咲き誇っていて、その花の下にファミリーが勢揃いしている。そしてさらに丘を下れば裏切り者がいて、それを最上から眺めるマイケル。ここのカメラの同線は美しかったなぁ。

ただ、現代人がこの映画を手放しに称賛することには違和感を覚える。教育の敗北と言ってもいい。

「酒と女」、「食い物と女」、物と並列で挙げられる、客体化された女性たち。ファミリーの意思決定には一切関与できず、子供を産むか、家事をするか、暴力を振るわれるか、時には殺されるか、そんなシーンでしか登場しない女性たち。

ここにしんどさや違和感を見いだせない観客は、その時点で自らがなんらかの特権を保持していることを認めなければならないと思う。

「そういう時代だから」「そういう職業だから」「言い出したらキリがない」という主張は、では、ではそういう時代を作ったものは一体なんなのか、そういう職業を作ったものは一体なんなのか、そう問い直すことに手を抜いているために生まれると考える。自分の作った映画、そしてそこに登場するイメージやメッセージが、"その時代に"あるいは"後世に"どういった影響を及ぼすのか、そういった利他を考えられないようなクリエイターは滅びて欲しい。

ジェンダーについて、もっと広く言えばクィアや人権について考える時、それらを1つのカテゴリーとしてとらえ、時に取るに足りないこととしてそのかたまりごと端に追いやってしまう人間があまりにも多い。しかし、ジェンダーは人間の関わる世の中のあらゆる事象全てに密接に関わっている。映画とジェンダーについて考えるときもそう。クィアに映画を考えることは、非常に普遍的なことであるにもかかわらず、ないがしろにされ、「考えすぎ」と指摘されてきた。

この映画は、映画技法的には素晴らしい点も多いけれど、反省も多い作品。はじめの結婚式のシーンで登場人物を明らかにしておいたこと、オレンジの使い方、ライトの使い方、モンタージュ、伏線の回収、これらはどれも評価できるし、映画を学べる学校に通う学生は間違いなく学ぶことだろうと思う。でも、こういった価値観やメッセージはもう断ち切らなければならない。そこの区別をしっかりつけて学ぶこと、それがマスにメッセージを届けることに対する最小限の礼儀。

あ、そうだ。マフィアたち、「ビジネス」って言葉一生使ってくる割にそのビジネスが一体なんなのか、この人たちは本当に優秀なのか、そういうところが微塵も伝わらなくて、結局「俺に従わねえと撃ち殺すぞ」のテンションで""ヒステリックに""界隈をうろうろしているだけという印象だったんだけど。その割に、妹がパートナーを殺されたことに対して兄に真っ当に意見したら、兄は「妹はヒステリックを起こしている」とか言っちゃって、ああいうのも典型的なトンポリなので今の時代の人は書かないでくださいね脚本に...

そして結婚への迫り方が雑で笑っちゃった。相手に有無を言わせないし拒否させない。女性も拒否しない。すごい。雑!!!で、そのいわゆる「ビジネス」に勝手に巻き込んでおきながらファミリーを「守る」とか言い出すのすごいな。ファミリーの解体がファミリーを守る近道だよ★

まぁその辺のことは下の記事が面白くて、誰も乗り気じゃなかったところから物作りが始まってるみたいだから無理もない(?)のかもしれないね...

https://cinemore.jp/jp/erudition/434/article_435_p2.html

とにかく、映像を学ぶ人間、マスにものを届ける人間は、クィアな視点でものを見ることを諦めちゃダメだよ...勉強しなきゃ...(自戒も込めて)