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ロッキーのKuutaのレビュー・感想・評価

ロッキー(1976年製作の映画)
4.8
久しぶりに見返したので再投稿。

私はリビングにロッキーのポスターを貼っているのだが、スタローンの写真と共にこのキャッチフレーズが書かれている。

His whole life was a million-to-one shot.

この言葉通りの作品だ。スタローンは、自身の境遇を反映して書き上げた脚本でアカデミー作品賞を獲得し、映画をなぞるようにアメリカンドリームを実現した。

作品全体の重苦しいトーンを引きずり、戦うことなくリングを去るはずだったオリジナル脚本は書き換わり、静かにエイドリアンと勝利を分かち合う展開も直前でボツとなった。結果生まれたあのエンディングが、当時のニューシネマに漂っていた停滞感を振り払い、新たな映画の時代を切り開くきっかけとなった。

これほどの幸運に恵まれた作品はなかなかない。以前の投稿でも書いたが、ロッキーは神話であり、人生の実録集だ。トレーニングシーンの撮影中、本物のボクサーだと思って地元のおっちゃんが投げたオレンジ。ここに、映画と現実が一つになった今作の魔法が詰まっている。

・ロッキーの本質は殴られても倒れないことにある。苦しみに耐え抜く信念と受難。キリストの肖像を捉えたファーストショットから、カメラはリング上のロッキーを捉える。

ロッキーは鏡を見つめ、人生を顧みる。アポロとの試合直前も、鏡に向かって跪き、祈りを捧げている。ポーリーに負け犬と呼ばれ、人との交流を避けていたエイドリアンも、ロッキーとの初デートに出る時、意を決したように鏡を見つめている。己の弱さ、内面との自問自答が今作の核にある。

ロッキーが反転した存在がポーリーだ。初登場の酒場のトイレで、ポーリーが向き合う鏡は壊れている。彼はロッキーのように苦しみを受け入れ、前進することができない。

ロッキーが聖性を背負うアメリカの理想であるなら、「独立記念日だ」と得意げに語るTVの中のアポロに対し、ビール缶を握りつぶして敵意をむき出しにするポーリーは、理想の対極にいる。酒に溺れ、楽な仕事ばかり求め、ロッキー3では黒人、ロッキーザファイナルではメキシコ人に対する差別意識も口にしている。

ポーリーはチャンスをつかめなかったロッキーだ。彼は精肉工場で働く、アメリカ社会の歯車でしかない。ポーリーが怒りに任せて肉を殴った姿を見て、ロッキーはそれをトレーニングに導入する。拳から血を流して殴り続ける姿はポーリーの分身であり、その狂気じみた練習風景を全米に中継させている。ロッキーの拳には、ポーリーの血が滲んでいる。

精肉工場、クリスマスの大暴れ、ジムでの短い会話。ポーリー絡みの描写3連発を経て、有名なランニングシーンが挿し込まれる。ロッキーに最後のスイッチを入れているのはポーリーだ。

・随所にフルショットを用い、寒々しいフィラデルフィアの風景と、その中で身を寄せ合うキャラクターを切り取っている。スケート場でのデート、喧嘩別れしたミッキーを追いかけるショット。フィラデルフィアに生きるロッキーを丁寧に描いている。

試合前日に会場を訪れ、「肖像画」となった自分を見たロッキー。衣装のカラーリングが違うんだけど…とポツリと言うが「そんなもん誰も見てないぞ」と小馬鹿にされる。ロッキーは煌びやかなアメリカから取り残された、誰にも顧みられない人の代弁者だ。リング外から向けられる無数の目線が、中心にいるロッキーの象徴性を高めている。

・「クリード チャンプを継ぐ男」で、主人公アドニス・クリードがYouTubeに投稿された今作の試合映像を壁に投影し、過去の影とスパーリングをするシーンがある。

ロッキーの精神は時代を超え、形を変えながら伝播している。私にとってロッキーは、映画を見る楽しさ、映画について考える楽しさを継承してくれた大切な作品だ。荻昌弘先生の解説を貼って終わりたい。こんな風に映画を語れる人になりたいものです。

https://youtu.be/Vx5YovmVxUA?si=fsdMmIMmGTw_5Djz


2016/05/01投稿
絶望を前に拳を握る、不屈と希望を巡る物語であり、人間の可能性を諦めない作り手の思いが凝縮された人生の実録集だ。

ジョーズ、スターウォーズとともにニューシネマの時代を打ち破った、文字通り神話的な傑作。
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