【監督強化月間⑥ 黒沢清】
タイトルは「アカルイミライ」だけど、それとは対照的に、画面は暗く、色は薄い。それがオダギリジョーや浅野忠信に代表される若者には、世界が何の希望もないもので、もちろん未来なんて思い描けないことを象徴しているかのよう。
そんな2人と対照的に描かれるのは、笹野高史や藤竜也のような、父親世代。彼らは激動の時代に生き、「目標があった、エネルギーがあった」と過去を語ります。彼らは昔を思い出しているだけですが、当の若者2人からしてみれば、過去にしがみついていて、それを自慢するだけの存在。だから浅野忠信は、あんなことをしたのかもしれない。
本作で描かれていることは、「未来が分からない若者」と、「目標をもって生きた中年」という、世代間の話なんだと思います。だから、若者を理解しようとする藤竜也が、遂に「和解」を果たしたとき、そしてオダギリジョーがちょっとだけ前進したとき、少しだけ前向きになれます。
ラストで、オダギリジョーよりも更に若い世代が、チェ・ゲバラのTシャツを着て当てもなく歩いていくシーンからの「アカルイミライ」というタイトル。どんな事があっても、彼らは「ミライ」に向けて前進していくであろう気がしました。