信じられない大傑作。
建築の中心を破壊する聾唖の山崎努の振る舞いから、揺れることが徹底して画面に映される。
この映画で強烈な印象を放つ春川ますみは圧倒的な台詞量の言葉によって画面に描かれることのない世界を再現することにより、周りの人間たちに揺さぶりをかけるのであり、映画の人物たちはまんまと言葉の再現を動作として実行してしまう(初めて春川ますみが新宿芸能社を訪ねた時の1人喋りによる周りの人々を告発していく様の素晴らしさ!!半ば強引に注いだ酒を飲むことしかできない中村メイコの身振りに単なる笑いでは済まされぬエモーションが立ち上がる)。
その言葉による再現からの回復を映画で果たそうとするのはまさに『マディソン郡の橋』を彷彿とせざるを得ない内側からの切り返しによるものであり、その切り返しを我が物とした瞬間、「いただき初子」と呼ばれるヒロイン(しかし彼女は映画の中でことごとく「いただき」に失敗する)は映画の中で漸く男たちの言葉に対する蕁麻疹(肉体としての映像の"NO")を克服し、聾唖の山崎努を「いただく」ことの成功を手に入れる。
子供が横で眠る布団の中で山崎努に流れる汗を見た時、森崎東がここぞとばかりにヒロインたちが山崎努の過去を思うあの水辺の反射を思い出す(この時どこへ向かってか歩き出す3人が足を引き摺る歩き方の不器用な美しさこそ人生)。
言うまでもなくそこで映っていたのはその3人の歩く姿を反射する水の揺れでしかありえない。
映画を貫く揺れ動きが例の初めて性行に成功したシーンで、建物の二階と一階を繋ぐのが蛍光灯の揺れであることは当然であり、ラストの横断歩道で画面を左右に行き交う車たちの中を駆けてしまう子供と彼女を助けようと抱き上げる初子。信号は青になり、横断歩道の先にいる中村メイコへと手を振るあの一連で画面を激動の揺れから静止へと導くフィナーレにガッツポーズした。