『ニッツ・アイランド』や『バーチャルで出会った僕ら』では、ゲームの世界でのコミュニティの生態系について追っている。『Grand Theft Hamlet』では、コロナ禍において劇団がゲーム内で演劇を上演することができるのかといった実験を行っていた。『Bouchra』では、ゲームのような質感のアニメーションを通じてクィアの関係性を描いていた。実際の肉体とアバターでの生活は、現実と虚構を分断するものではなく、双方が現実として受容されていく。そのような世界をどのように映画で描くのかがトレンドとなっているのだが、カンタン・デュピューの場合は、単に現実の否定としてのツールとしてゲームのようなルックを用いており、ヴァーチャルに身を置くことに対して冷笑的だと感じた。『The Piano Accident』における露悪的なインフルエンサー像もそうだが、観客が想像しうる領域を単に露悪的に演出するのは映画ではないと思っている。故に、最近のカンタン・デュピューのアプローチには疑問しかないのだ。