菩薩

男はつらいよ 柴又慕情の菩薩のレビュー・感想・評価

男はつらいよ 柴又慕情(1972年製作の映画)
4.2
シリーズ9作目、マドンナ吉永小百合。

木枯らし紋次郎風の夢の寸劇から始まる今作、今後これはその時その時のヒット映画にかけて様々に姿を変えていきますが、ジョーズのヒットにあやかった17作目『寅次郎夕焼け小焼け』の寸劇シーンのカルトっぷりと言ったら無いので、特にお勧めです。

今回の寅さんは王道パターン、勝手に惚れて勝手に思い込んで勝手にフラれて勝手に出てくシンプルな展開。旅先の石川県で出会った可憐女子三人組を、御前様お得意の「ばた~」で掴み、中でも一番べっぴんな歌子さん(吉永小百合)にヤラれちまいます。この歌子さんがまた可哀想な人で、母を亡くし物書きの父と2人暮らし、一人ではお湯も沸かせない父の元、まさに羽を切られた籠の鳥の様な生活をしておるわけです。そんな歌子さんが対照的な暮らしぶりをする寅さんに多少なりとも関心を寄せてしまうのは当然な話で、とらや一同巻き込んで懇切丁寧におもてなし、歌子さんはなかなか図々しいお人。心に決めた相手がいるものの、父からは反対され、かつ父を捨てる勇気も持てず、とこれまたなかなか小津的な要素。思い返せば『東京家族』より先に小津やりまくってんじゃねぇかと思うわけですが、結局はさくら夫婦に諭され、というかさくら夫婦の気取らぬ関係に憧れたのか、思い切って結婚を決めてしまう歌子さん。流れ星降る星空の下で一人(勝手に)フラれる寅さん…、願いが叶うようにと空を見上げる歌子さんをそっと見つめる寅さんの視線が泣かせます。旅立ちの日、土手で寝そべりながら寅さんはさくらに言うのです、

「ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ。」

車寅次郎という人物にとって旅というのは、バイで生計を立てているヤクザ者にとっての必然的行為であると同時、自らのコンプレックスをひた隠し、現実から逃れる為の逃避でもあるわけです。しかし、この様に唯一の現実的拠り所である柴又に立ち帰っては、また渡世人として生きるしかしかない現実に打ちのめされ旅に出る、この無限ループが病みつきになるのです。寅さんはこれからも恋をし続けます、その旅傷つき、時にも涙を流し、そしてまた風に吹かれるかの如く、何処かへ去っていくのです。僕はそんな寅さんの背中に、登同様、どうしたって憧れてしまうのです。かっこいいぜ、こん畜生。
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