みやび

ギルバート・グレイプのみやびのレビュー・感想・評価

ギルバート・グレイプ(1993年製作の映画)
4.6
普通の平凡な日常の中に登場人物たちの葛藤や苦悩や愛情がつまった青春映画。
名作という言葉が似合う。

非常に繊細かつ丁寧に心情の変化を表現している。

派手さも盛り上がりもほとんどなく淡々と進むストーリーは本当に田舎町のとある家族の生活を覗いているよう。

だからこそ、ずっと心に余韻が残る。

脚本のすばらしさはもちろん、俳優陣の演技あってこそ成り立っている作品。
主演のジョニー・デップの感情が押しつぶされてしまった目の演技、メアリー・スティーンバージェンの拗らせた熟女感、そして何よりわずか18歳のレオナルド・ディカプリオが知的障害者を見事に演じている。
本当に障害のある俳優が演じていると思ってしまうほどの迫真の演技で、生まれながらの才能が画面を通じて伝わってくる。

主人公のギルバートはどこか自由を求めていた。そんな彼の足枷となっている家族という繋がり。
しかし知的障害を持つ弟が悪いわけでも自殺した父や過食症の巨漢母が悪いわけでもない。
本質的な善悪など存在しない「家族」という繋がりが、ギルバートの縛りになっている。現実味があり生々しく、非常に苦しい。

誰かにストレス発散したりはせず、流れていく日常と、逃げ場の無い田舎で過ごす自分に対しての喪失感を常に抱えている。

そんな閉塞的で家族に縛られ、生活に余裕が無い家に住むギルバートにとって突然現れたベッキーはトレーラーで放浪中というその対比の表現が良い。
彼女はこの作品において「解放と自由」の象徴であり、ギルバートからしたら自分たちに無いものを全て持っている彼女は眩しく羨ましく見えたのだろう。

家族への愛と辛い現実から逃げたいという思いと静かに葛藤していたギルバートが放浪中のベッキーと出会い視野を広げていく。
彼女と出会い、ギルバートだけじゃなく母も家族みんなが変わっていく。

一人の少女が自分たちの知らない新しい世界を見せてくれる。

だからこそ、登場人物たちは救世主のようなベッキーに惹かれるのだ。
ギルバートも例に漏れず彼女に惹かれ、恋に落ちる。
本作はお互い違う境遇にある2人が惹かれ合う恋愛映画でもあるのだ。

ベッキーが「あなたの望むものは?」
と聞き、
ギルバートが『いい人間になりたい』
と返すという場面がある。

そこには現代社会の問題、「ヤングケアラー」に通ずるものがあると感じた。
家族という、守らなければならないと思い込んでしまう関係。
家族に、友達に、人に優しくあろうとする、「いい人」であろうとする。
それが人生そのものの過労に繋がり、結果自らの命を絶ってしまうこともある。

無口で感情を全く出さずに自殺してしまったギルバートの父親がまさにそうであったように、ギルバート自身も心から感情を出すことを知らず知らずのうちに抑えていたのではないだろうか。

可愛い弟のアーニーを思わず殴ってしまうシーンはギルバートがはっきりと家族に対するマイナスの感情を表に出したシーンだ。
アーニーが警官に拘束され、数年ぶりに母親が外に出るシーンも町の人の笑いものになる母を見て怒りの感情を強く表に出している。

本当の感情を出すことで自分を知ることができる。

自分自信を理解して、自分を大切にできなければ、本当の意味で他人を思いやり、大切にすることはできない。
本当の意味で愛することはできない。

最終的にギルバートはアーニーと共に新しい人生を歩み出す。

どこへでも行ける。そう信じて。
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