りっく

八日目の蝉のりっくのレビュー・感想・評価

八日目の蝉(2011年製作の映画)
4.1
いきなり2人の女の顔がクロースアップで映し出される。1人は被害者。1人は容疑者。どちらも真っ直ぐな目線をこちらに向け、“子供”についての想いを語る。

本作では様々な女の顔が映し出される。まるで聖母のような温かさとミステリアスな雰囲気を瞳の奥底に潜ませる永作博美。取り返しのつかない時間に焦りと苛立ちを募らせる森口瑤子。自分の居場所がはっきりしない空虚感に浸りきる井上真央。無神経さの裏側で過去の暗い影を纏っている小池栄子。そして、奇妙な集団施設を危ういカリスマ性でまとめ上げる余貴美子。本作は出演する女優が皆素晴らしい。そして、彼女たちの些細な表情の変化も逃すまいと、カメラは女たちの顔に寄っていく。

そこに映し出されるのは、歪んだ家族形態や母と娘の関係から生み出される感情の渦である。それは、母性や愛情などといった言葉では片付けられないほど屈折している。母性は母親の逞しさや責任を引き出す。だが、強すぎる愛情は時に狂気的であり、身勝手であり、また滑稽でもある。そして、素直に人を愛せない心は痛々しくもあり、惨めでもある。1人1人の女性たちの想いが渦を巻いてこちらに迫ってくる。

エピローグで誘拐された子供と誘拐犯の“家族写真”が登場する。徐々に浮かび上がってくるツーショット写真が、心の奥底で封印された記憶を呼び起こす。そこには、確実に“母と娘”が存在し、そして母性や愛情も記録されている。このラストシーンが、井上真央がクラスメートの誕生日会で成長の過程をスライドショーで見せられたと語るエピソードに見事に呼応するのである。

確かに、小豆島に逃避行してからやや冗長という印象があるし、子供が“2人の母親”と今後どう関わっていくかという重要な点に落とし前がついていないという甘さもある。しかし、日本の女優が持つ底力のような圧倒的な迫力に、スクリーンから片時も目が離せなかった。
りっく

りっく