【沈黙と悲鳴の話】
『羊たちの沈黙』観ました。
ミステリー映画の名作。
第64回アカデミー賞では作品賞をはじめとする主要5部門を独占したという。
前情報は何もなしで鑑賞した。
“羊たちの沈黙”というどこかファンタジーなタイトルが、猟奇的な事件のどこに着地するのか、追いかけてみたくなった。
ここがすごかったんだよ。
言いたい。どこが、どのようにすごかったのか、ちゃんと説明したい。
だけど、これは、ミステリー映画なのだ。
どこを切り取ってもネタバレになってしまいそうで、なかなか切り出せない。
ジョディ・フォスターが美しかったんだ。
それしか言えない。
.....いや、それすらもネタバレになってしまうのだろうか?
ジョディ・フォスターが演じたのは連続殺人事件を追うFBIの訓練生、クラリス・スターリング。
事件解決の手がかりを得るため、犯罪者として収監されている精神科医のハンニバル・レクターを観察する。
見えるものと、見えないもの。
一刻も早く犯人を探し出そうとする我々の焦りは、見たいものだけに執着し、かえって真実から遠ざかってしまうだろう。
人間の光と、闇。
常軌を逸した殺人犯に対して、同じ生き物とは思えなくなってきた頃にも、誰の心にだってある暗部、つまり、根本に目を向ける余地さえあれば。
性的倒錯と、暴力。
映画の行方も感情もコントロールが効かなくなった今、この殺人事件を犯人よりも楽しんでいるのは、静寂に狂気を潜めたハンニバル・レクターかもしれない。
事件の謎が深まるほどに、“羊たちの沈黙”の真意がじわじわと浮き上がってくる。
タイトルの色が移り変わっていく様をただただ見つめる。
それだけでもこの映画を観る価値はあると気付いてしまったから。
最後の最後まで、油断できない。
思わず声を上げてしまいそうで、そのたびに息を呑んだ。
声にならなかった悲鳴は、沈黙よりも恐ろしい。