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カラヴァッジオのpicaruのレビュー・感想・評価

カラヴァッジオ(1986年製作の映画)
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『カラヴァッジオ』

デレク・ジャーマン作品を初鑑賞。
美少年の登場のさせ方はフランソワ・オゾンっぽい。
暖色系の油彩のような映像の質感はグザヴィエ・ドランを想起させる。
そして、会話調ではなく、詩的な独り言を羅列したセリフはヴィム・ヴェンダース風だ。

.......と、自分の好きな、というか、自分の感性を育ててくれた映画監督の表現を随所に感じさせてくるから、たまらなく惹き込まれる。

画家カラヴァッジオの生涯を描いた物語だけど、自分には、デレク・ジャーマンの色彩感覚そのものを映し出した作品だと思えた。

“危険な青い海へ逃れ
太陽の下をさまよう”

“私はおまえに色を教えた
血の色をしたシナバーや緑青のひき方
リスの刷毛を使う下塗りや上塗り”

“冷たく蒼い疑念
無限に続く不安
黒い波と眩い白が作るコントラスト
影が蝕んでいく
魂に 魂の奥底に”

絵画を重ねたみたいな、いや、劇中の油彩と周りの景色の境目をなくしたようなカットの連続に酔いしれる。
真夏の夜のワインの味を舌に感じさせる、熟した画だ。
だけど、デレク・ジャーマンは色彩の可能性とともに、色彩の限界についても語ろうと試みる。

“答えはこの傷にある
芸術は体験に逆らうものだ
血と肉を絵の具で作り出せるわけがない”

本編ではナイフや、刃物による傷が重要なモチーフとなっている。
赤い絵の具は何度も登場していたはずなのに、生々しい血の赤を目にして、初めて“赤”に触れた気分になる。
そして、“本物”を表現できないとわかった時の虚しさを主人公とともに味わい、“青”を感じるのだ。
目の前の濃くて赤い映像とは真逆の、彩度低めの退廃的な寒色。
視覚的ではなく、感覚的に体験する色。
デレク・ジャーマンは色彩の魔術師かもしれない。
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